DE-TEIU🍟 @de_teiu_tkg その昔、個人サイトとかに置いてあったCGI製のレンタルチャットみたいなWebアプリを作りました。確かこんんな感じだったと思います。 #インターネット老人会 Retro Chat retro-chat.vercel.app pic.twitter.com/pnx5OOvl3J
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なかなか興味深い話題がバズっていたので紹介したい。「男性の友人関係」に関して、グレイソンペリー(英国の芸術家。女装家としての側面も持ちジェンダーに関する著作がある)を引いて解説する一連のツイートだ。 女性の何倍もの数の男性が孤独で自殺する。男の友情の多くは同僚など社縁であり、実際は女性よりも(仕事の絡まない)友達は少ないし、その必要性に気づいていない。そして「男性が健全な関係の大切さに気づかないのは、そこにセックスが絡まないからだ」と >グレイソンペリー『男らしさの終焉』 — ジロウ (@jiro6663) October 4, 2021 これ面白いな。腐女子たちが「あれだけ仲良かったら(セックス)してるでしょ」という発想で、仲良さげな男性二人の関係を(妄想の中で)勝手に進展させていくのをよく聞いたが、男性が誰かと仲良くなれるのは仕事かセックスを介してのみ、という男性の親密性の特性を的確に
「第二のソーカル事件」と呼ばれる事件が2017年に起きたことをみなさんはご存じだろうか。 「ソーカル事件」とは言わずと知れたポストモダン思想史における大事件だ。1990年代初頭、ニューヨーク大学の物理学教授だったアラン・ソーカルはポストモダン思想と呼ばれる知識体系に疑問を抱く。当時のポストモダンは数学や物理学の知識を援用して社会構造を論ずることが流行していたが、本職の物理学者であるソーカルには彼らの科学知識があまりにも不確かに思えたのだ。 ポストモダン思想の学術的欺瞞を告発するために、ソーカルは一計を思いつく。ポストモダン思想の文体を真似たデタラメな論文を専門の学術誌に送りつけ、それがアクセプトされるかどうか試すことにしたのだ。 かくして「境界を侵犯すること:量子重力の変換解釈学に向けて」と名付けられたデタラメ論文が1994年に執筆された。論文は(意図的に)支離滅裂かつデタラメに書かれてい
サクサクのパイの中に、甘酸っぱくて華やかな香りのりんごがたっぷり。14世紀にイギリスで誕生し、アメリカをはじめ、世界中で愛されるアップルパイは、世代を超えて愛されるテッパン人気の洋菓子です。 一口にアップルパイと言っても、ホールタイプやスクエア型、一人一個食べられるサイズのものなどスタイルは多種多様。さらに、生地もバターを折り込む折パイ、練り込む練りパイ、りんごも角切りやスライス、ジャム状にしているものなど、お店ごとにオリジナルの味わいが楽しめます。 一年を通して味わえるアップルパイですが、りんごが旬となる秋~冬は、限定商品が登場する店舗も。テイクアウトしてお家で楽しむことはもちろん、手土産に喜ばれること間違いなし。東京のアップルパイが美味しい店をご紹介します。 ※この記事は2020年9月21日時点での情報です。休業日や営業時間など掲載情報は変更の可能性があります。日々状況が変化しておりま
anond.hatelabo.jp 作業が一段落した時に、こんなはてな匿名ダイアリーを見つけてきた。曰く、「書評が書けない」と。この「書評はどうすれば書けるのか」の答えは、 ・どういう書評を書くのか ・何をもって書評と呼ぶのか ・誰が読むような書評なのか によって答えが違っているはずで、匿名ダイアリー筆者にていねいにヒアリングをしたうえで「あなたの思うような書評を書くには、これこれ、こういう要素や積み重ねが必要です」みたいに応答するのが一番いいんだろうなと思った。 で、私がこの文章を書き始めたのは、それとは別で、「自分が書きやすい/書きにくい書評とは何なのか」「自分は有名書評ブログのようには書評を書けないのはなぜなのか」、みたいなことを考えこんでしまったからだ。いわば書評する(ことのある)人間としての自分自身を振り返りたくなったので、自分の問題に引き寄せながら書評について考えてみる。 本を
ひと雨降るごと、秋が深まってゆく。 道端で、咲き誇る彼岸花や蝉の死骸を見るたび、私は少し憂鬱になる。 つまり夏が終わって冬の足音が聞こえ始めたのだ。 コオロギやスズムシは今が最盛期だが、やがてそれらも絶えてゆくだろう。 死の横溢する冬の到来はどうにも避けられない。 人気ビジュアルノベルゲーム『月姫』には、”直死の魔眼“というものが登場する。 主人公・遠野志貴の目には万物の死、それも概念としての死が見えてしまうという。 その目を駆使して遠野志貴は危機を切り抜けてゆくのだが、そんなものが四六時中見えてしまっては正気ではいられない。 『月姫』は、そのさまもよく描いていた。 しかし平凡な私たちでも、秋から冬にはさまざまな死が見える。 芽吹きの季節や盛期があるだけでなく、秋の衰えと冬の死がやってくることを、四季は私たちに示唆してやまない。 思秋期、という言葉がその最たるものだが、洋の東西を問わず、人
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