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*Zhong1Wen2とwikipediaより詳しいに関するTa_Howaitのブックマーク (2)

  • 第125回 「无」と「無」と「𣠮」 | 人名用漢字の新字旧字(安岡 孝一) | 三省堂 ことばのコラム

    新字の「无」は、常用漢字でも人名用漢字でもないので、子供の名づけに使えません。旧字の「𣠮」も、常用漢字でも人名用漢字でもないので、子供の名づけに使えません。こんな妙なことになってしまった原因は、俗字の「無」が当用漢字になってしまったからなのです。なお、「无」と「𣠮」の新旧には議論があるのですが、ここでは「无」を新字、「𣠮」を旧字としておきましょう。 昭和17年6月17日、国語審議会は標準漢字表2528字を、文部大臣に答申しました。標準漢字表は、各官庁および一般社会で使用する漢字の標準を示したもので、火部に俗字の「無」が収録されていましたが、新字の「无」や旧字の「𣠮」は収録されていませんでした。文部省は12月4日に標準漢字表を発表しましたが、そこでも俗字の「無」だけが含まれていて、新字の「无」や旧字の「𣠮」は含まれていませんでした。 昭和21年4月27日、国語審議会に提出された常用

    第125回 「无」と「無」と「𣠮」 | 人名用漢字の新字旧字(安岡 孝一) | 三省堂 ことばのコラム
    Ta_Howait
    Ta_Howait 2019/02/20
    ”𣠮”これは俺的老婆も読めなかった。そして私は”無”が元々俗字だったことも知らなかった。
  • 半世紀にわたり日本の負傷兵を世話したある農民の話 - 『人民中国』

    今年は、あの悲惨な戦争が終結して60周年の節目の年である。戦争が人類にもたらした大きな災禍をふりかえるにあたり、河南省南召県の農民、孫邦俊さんの一家が、なんと47年もの間、日の負傷兵・石田東四郎さんの世話をして、ぶじに帰国させたという実話を聞いた。そこで、同県にほど近い南陽市を訪れ、孫邦俊さんの家族や証言者を取材、この実話を記録することにした。 日の負傷兵 南陽市は河南省南部に位置する「歴史文化の町」である。三国時代(220~280年)の蜀国の丞相・諸葛亮は若いころに、この地で晴耕雨読した。いわゆる「三顧の礼」で知られる故事は、ここが発祥の地だという。 南陽市から北へ自動車で一時間ほど走ると、南召県太山廟郷につく。孫邦俊さんの家が、この村にあるのである。孫さんとその息子の孫保傑さんは、すでに他界したという。息子の嫁の王成香さんが、この話をもっともよく知る人物となっている。 彼女の話によ

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