タグ

ブックマーク / tkido.blog43.fc2.com (2)

  • 水伝問題で非難されるべきは著者ではなく学校教師 神は細部に宿り給う

    前回の続き。水伝はトンデモだということはわかったとしよう。なぜ科学にそんな風に誰かの飯の種を切って捨てる権利があるのだろう。  何が正しくて何が間違っているか判断する方法は色々ある(あるいはあった)。昔も今も人気がある方法に「真理は聖なるに書かれている」というものがある。「優れた哲学者の魂が考えて考えて考えぬけば真理に到達できる」とする方法も昔はあった。だが結局は「みんなで検証を何度も繰り返せば長い目で見れば真理に近づくことが期待できる」という科学の方法が勝ち残った。  現代の日のような先進国においては、科学が何が正しくて何が間違っているかを判断する唯一絶対の権利を握っていることは、もはや当たり前すぎてほとんど意識されもしない。輸血は大罪だと信じる外科医は職を追われるしだろうし、祈れば死体が生き返ると思って家に放置していたら逮捕されるだろうし、人を大勢殺して沢山の魂をあの世に送らないと

    TakahashiMasaki
    TakahashiMasaki 2009/02/20
    (水伝をすすめた教師のかおがみてみたい
  • 「水からの伝言」はトンデモの一言で切って捨ててよい 神は細部に宿り給う

    オープニングクイズ。以下の主張は正しいか? ○か×のみ(どちらでもない・どちらでもある・場合による等の答えはなし)で答えなさい。 誰かの真剣な主張を「とんでもないから」といって真面目に受け取らないのは科学的な態度とは言えない 科学的な社会では少数派の意見に基づいて行動するからといって弾圧されたり処罰されることはない 人格的な神や死後の世界の存在は科学的な観点からすると否定されると言わざるをえない 水からの伝言(以下「水伝」と略す)なるトンデモについては昔わずかに触れたきりであったが、 「水からの伝言」を信じないでください が話題になっているのを見るうちに再び興味が出てきた。上の田崎晴明氏の文章は水伝に対してどんな立場にある人が読んでも非常に素晴らしい文章で、私が付け加えることは何もない。今回気になったのは、この「水からの伝言」を信じないでくださいに対して 『「水からの伝

  • 1