しかし米国の設計思想はそもそも、損傷したときにいかに被害を小さく抑えるかというダメージコントロールを重視していました。この違いが結果的に、太平洋戦争での1等駆逐艦の沈没数が日本は128隻、米国は71隻という差となって現れたのです。 駆逐艦は見直されたが… 太平洋戦争における海軍の基本戦略は「アウトレンジ作戦」でした。国力が違いすぎる米軍とは四つには組まず、前哨戦で戦力をできるだけ削ってから艦隊決戦に持ち込み、リーチの長い大型戦艦で遠くから決定打を放つという構想です。大和が建造されたのは、そのためでした。 ところが、大和の周囲を固めるべき巡洋艦や空母、駆逐艦などが欠陥によって次々と沈められ、艦隊決戦を挑む前に艦隊の編制が難しくなっていったのです。 1944(昭和19)年10月のレイテ沖海戦は、敗色濃厚となった終戦前年にようやく訪れた、艦隊決戦の機会でした。しかし結局は、武蔵ほか戦艦3隻、重巡