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ブックマーク / schutsengel.blog.ss-blog.jp (5)

  • 脆弱さ:Chromeplated Rat

    yoseiさんの科学的エビデンスと云うエントリを読んだ。 針灸をして症状がなくなるのはよくあること。さらには癌が消えたり、腫瘍マーカーの数値が低くなることも臨床ではみられる。 その証拠? その症状がなくなった人が生きた証ではないのだろうか?(改行位置を変更、リンクを取り去るなどで整形しています。以降同様) 鍼灸によって症状がなくならない場合も、同様にあるだろう。その場合、なくならなかったひとは、鍼灸に効果がない、と云うことについての生きた証と云うことになるのでは。いや、揚げ足をとってるんじゃなくて、素直に。 さらには「リコネクション」では痛みが消えたり、立てなかった人が立てたり、病気が消えるということもよく起こる。 これもその人が生きた証。これも同様。 立てなかった人が立てたり、病気が消えるということが起きなかった場合、どのように責任を取るのか。もらったお金を返して終わり、なのだろうか

    Temper
    Temper 2010/02/18
    "特定の代替医療に従事するひとが科学的エビデンスの意義を否定する、と云うことは、その手法が効果の検証に耐えられないほど脆弱で、効果が見込めないと云うことをみずから認めるのとおなじことなのではないか。"
  • インフルエンザワクチン否定本配布中、書評募集中。:Chromeplated Rat

    Temper
    Temper 2010/01/04
    レビュー1件500円が本当だとすると、相当報酬高い。これはうざいなぁ…お金もらえて自己満足感にも浸れる…
  • 「自己責任」と「他者に対する責任」:Chromeplated Rat

    ホメオパスでいらっしゃるらしいlotusさんのマスク嫌いになりましたと云うエントリを読んだ。 簡単な予防だからだとは分かっていますが、そんなに必要なんだろうか?マスクそのものには予防としての意味合いはあまりなくて(だからその意味ではそれほど必要と云うものではなくて)、むしろ感染している人間がさらに感染を広げないために用いるもの、と認識している。インフルエンザはおもに飛沫感染だし、風邪も同様の感染ルートを辿るので。 昨今マスク姿で人前に出る、と云う行動は「インフルエンザに留意しています」と云うことを示すためのジェスチュアとしてのニュアンスがつよくなっていて、なんか「空気を読んでマスクをする」ひとが増えているなぁ、みたいに感じていたりはするので、その辺りに対する不快感は理解できなくもないのだけれど。 ちなみにぼくはいまのところ、外出時にマスクはしていない。幸運にも去年から、インフルエンザにも風

    Temper
    Temper 2009/12/24
    コメント欄が有意義なものとなりますよう / "現時点で医療はもちろん万能ではないけれど、少なくとも患者本人の「自然な」力の及ばない範囲での症状について「自己責任」で放り出すような方向には向かってこなかった"
  • 商機:Chromeplated Rat

    jibun384さんの迫り来る新型インフルエンザ予防接種についてと云うエントリを読んだ。 毎日の新型インフルエンザの報道に いつ予防接種が自分に回ってくるのか? 「予防接種=インフルエンザに罹らず=安心」 とお考えの方がほとんどなんでしょうね!いくらなんでもべつだんだれもがワクチンが万能だ、と考えているわけではなくて。当座の策としても不安があるから、ホメオパシーあたりがこう云う状況を商機としてつけ込む余地があるわけで。 きのうホメオパシー医学協会のホームぺージに 「厚労省新型インフルワクチンQ&A」に関する情報が載っていましたので 紹介します。 ⇒厚労省新型インフルワクチンQ&Aをどう読むか(由井寅子JPHMA会長) 要約すると 1.新型インフルエンザワクチンは、かかることを予防するのではなく、 重篤になることを防ぐためと言っている。(それも疑わしい?) 2.したがって 予防としては、手洗

    Temper
    Temper 2009/11/06
    リンク先の記事削除されてる
  • 「善意」を甘やかしてはいけない。:Chromeplated Rat

    ネットの片隅で「善意の転載」が議論になっている(だれかが上手にまとめたエントリがないかと探したんだけど、適切なものが見つからなかった。このあたりか)。とあるブロガーが「善意あふれるエントリ」を書き、読者に「善意に基づく転載」を推奨したことに端を発している。 もともと、チェーンメールの類はネットワークの負荷を増やすのでやってはいけない、という行動規範があった。それはインターネットを利用するものに絶対的に求められる、モラル以前の常識であり、それがどのような善意、どのような切迫した事情に基づくものであっても、そのことそのものがインターネットの原理に敵対するものであり、ケースバイケースなどと云う考え方をする余地がそもそもない、「小規模なテロリズム」として捉えられていた。同内容のテキストを増殖させるチェーンテキストも、質的には同じものだろう。 まぁ例えば10年前と比べればインターネットユーザ数は1

    Temper
    Temper 2009/10/30
    "善意はつねに疑われ、その疑念によって鍛え上げられるべきものだ。自分の気持ちよさのために行うものであるゆえに、それがもたらしうる結果についてつねに考え続けられなければいけないものだ。"
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