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考え方に関するTetsu3のブックマーク (3)

  • フォローしている数から見えてくるTwitterのカタチ - 隠フェミニスト記(仮)

    WEBこういう風にすると、いろいろな意見を取り入れることが可能じゃないだろうか?という一つのモデル。 仕事する傍ら、横目でみるTwitterに流れる、他人のつぶやきと会話から拾う。Twitterはフタ桁フォローでSNS200超えてメディア化500超えたところで情報のストリームといった印象。500超えたらリロードごと景色は変わるという点で一緒。@daichiつまりあれだな、 Twitter のことをなかなか的確に説明する言葉がなかったりするのは、フォローしている数によって SNS になったりメディアになったり形を変えていくからなのかもしれないな。@kengo Twitterはフォローする数によって、様々なツールに変化していくという話を、耳をダンボにして、こそこそ聞いていた。どこまでも届く声の大きな広間で会話してるみたいに。ワタシは広間の端っこで、「あの人なにしゃべってんだろ?」って思っている

  • 任天堂は「やらないこと」で目標を達成した

    やらないよりはやった方がいいに決まっている。しかし、ここに落とし穴がある。サウスウェスト航空、任天堂、QBハウスに見る目標達成の方法を個人で実現するためには。 仕事をしているとどこまでやるべきか判断に迷うことも多い。もちろん、なるべくやれることはやった方がいい、そう思うのが一般的だろう。 勉強や自分のスキルを磨く場合も同じだ。やらないよりはやった方がいいに決まっている。できないよりはできる方が価値が高いに決まっている、と素直に思う。……しかし、ここに落とし穴がある。 この考え方の最大の問題点は、すべてが中途半端になりがち、ということだ。より多くのことを成そうとすれば、1つだけに集中している者に勝てるわけはない。企業が競争力を失うケースもこうした原因が少なくない。 「選択と集中」――イケてる企業はやっている こうした企業が取るべき道として「選択と集中」という言葉がある。競争力が高く、独自性の

    任天堂は「やらないこと」で目標を達成した
    Tetsu3
    Tetsu3 2009/08/12
    やらないことを決めてやらないことを補う何かを持っておく。良い考え方だ。
  • きみが食べそこなったのそのブドウはけっして酸っぱくなどない - ハックルベリーに会いに行く

    「不幸とは何か?」ということを考えた時、ここ数年ぼくが思っているのは「自分に嘘をつく」ということだ。自分に嘘をつくという行為はとても危険である。不幸な人を見た時、たいていこれに当てはまっている。幸不幸は、けっして物質的な豊かさに左右されるのではなく、あるいはその人の身に降りかかった運命に左右されるわけでもなく、その人がどれだけ自分に正直か、その一点のみで決まるようにさえ思う。 ギリシア神話の「酸っぱいブドウ」の話は存外に重い。この話は、真の不幸は「ブドウを取れなかったこと」にはなく、それ以上に「ブドウを取れなかったことの悔しさを『あのブドウは酸っぱいからべなくても良かった』と自分自身に嘘をついてごまかしたことにこそある」と示唆しているように思う。 自分に嘘をつくというのは、文字通り麻薬のようなものだ。例えば、ほしかったブドウをべられなかったとする。するととても悔しいし、惨めだ。その気持

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