朝日新聞のWEBRONZAに2月21日掲載された解説です。ただ全文は、朝日新聞との関係上、高橋のブログにはアップできません。 ---------------------------------- アルジェリアで日本人10名が殺害された痛ましい事件から1か月が過ぎた。少し落ち着いて、状況を振り返ってもよい頃であろうか。 アルジェリアの現代史は痛ましい。1950年代から1962年まで戦われた独立戦争では、100万人がフランスに殺害された。アルジェリア人は殺されても殺されても戦い続け、ついに独立を達成した。独立当時の人口が1000万程度であるから、人口の1割を失った計算になる。その犠牲の凄まじさが想像できる。 独立闘争を指導したFLN(民族解放戦線)は独立後には権力を独占した。しかし権力の独占は腐敗を生みがちである。勇敢に民族解放闘争を戦った組織が、人々が、自然現象でもあるかのように、腐敗してい
アルジェリア人質事件で犠牲になったプラント建設大手「日揮」の日本人7人について、政府は名前など身元に関する情報を公表しないことを明らかにした。テロで邦人に犠牲が出るという重大事件としては、異例の対応となった。 日本人が被害に遭った過去の海外の事件では、ほとんどの場合は政府や被害者が所属する団体などが、被害者の身元を明らかにしている。平成16年4月、自衛隊撤退を求めるイラクの武装勢力に日本人3人が拘束された事件では、当時の福田康夫官房長官が会見で、3人の名前を公表した。 今回非公表とした理由について、菅義偉(すが・よしひで)官房長官は「ご家族や会社の方々との関係があるので控えさせていただく」と説明した。 一方、日揮の遠藤毅広報・IR部長は22日の記者会見で「政府にもご理解をいただいている」とした上で「今回生き残って帰ってくるスタッフ、残念ながら死亡して遺体となって帰ってくるスタッフ、それから
「兄貴思いの優しい弟だった」。死亡が確認された渕田六郎さん(64)はこれまでイランやイラク、サウジアラビアなどの建設現場を飛び回ってきた歴戦の海外駐在員だった。帰国するのは年に数日。それでも兄弟の絆は強かったという。兄の光信さん(70)は最悪の結末に、「最後に会ったときは元気だったのだが…」と絶句した。 光信さんによると、渕田さんは鹿児島県の工業高校を卒業。大手ゼネコンを早期退職し、別の建設会社に再就職した。そこからアルジェリアに派遣され、日揮が手掛けるイナメナスでプラント建設に携わる。マネジメント能力を買われて作業員の教育を行っていた。 渕田さんはアルジェリアの国情について「楽しいけど危ない国。いつどんなことがあるか分からない」と語っていた。帰国の際は自分の予定表は周囲にも知らせず「現地で雇っている人や部下も信用しない」が口癖だった。常に危機管理に気を配っていたという。 それでも帰国時に
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く