人生と文章に関するTogami_Arahiのブックマーク (2)

  • 「自分の生活全体の目的」と、「自分の生活全体」のあり方

    少し前になりますが、これを書きました。 全体と一部分(それより上の階層がない・それより上の階層がある) 「個人の継続的な知的生産」と、「全体・一部分」&「それより上の階層がない・それより上の階層がある」 WorkFlowyを使い続けていくうちに自然と浮かんできた、「全体と一部分」「それより上の階層があるか、ないか」ということを考えたものです。 このテーマを、もう少し展開してみます。まずは、抽象方向へ。 「自分の生活全体の目的」です。 1.「生活全体の目的は何か?」という問いへの取り組み 若干恥ずかしい話ですが正直に告白すると、大学生のころ、「生活全体の目的」のことばかり考えていた時期がありました。 ● 最初は青少年の悩み、みたいなことでした。「人が生きる意味ってなんだろう」とか、そういうことです。 でも、途中から、もう少し実用的な動機に切り替わりました。『7つの習慣』を読んだことがきっかけ

    「自分の生活全体の目的」と、「自分の生活全体」のあり方
    Togami_Arahi
    Togami_Arahi 2015/11/27
    “目的とは、いってみれば、自分よりも上の階層とどのような関係を持っているのか、その関係のあり方の話です。だから、上の階層を考えることなしに、目的を考えることはできません。”
  • 人は日記に一日の何を記録するべきか - 蛍光ペンの交差点

    読者の反応を目的とする「記事」を書くことが増えた。 反面、自分が見て何かを確かめるのを目的とする「日記」を書くことが減った。 1日をどう記録したら有意義か?とふと考えた。 全く記録しないのはどうか。レポートの更新日時などやTwitterなどの何気なしの呟きで、かなり多くの行動が記録されている。それで十分ではないか。日記など必要ない、? いや、足りない。 反論はいつもこうだ。「そんなに都合の良い構造に、何も細工をしていないデータがなっているはずはない」…無意識に書いただけのものが、あとで役立つと考えるのは楽観的すぎる。仮説なくして集めたデータには多くの場合、統計的処理がかけられない。統計的処理はおろか、強いバイアスのかかったデータでない保証も少ない。役に立つどころか、良くない結果すら引き起こしかねない。 結論を書くと、自動記録させるものを意識的に設定しておいたり、呟いたりするのが最善だろう。

    人は日記に一日の何を記録するべきか - 蛍光ペンの交差点
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