ある記事をみて、私もなにかを書きたいとひさしぶりにおもった。 話はもちろん押韻論。私がこれまで書いてきた押韻論(これやあれ)を読めば、だいたい私の押韻理解はわかってもらえるかとおもう。 しかし、押韻というのは難しい議題だ。 まず、押韻を文章で読むか声にして喋るかという問題がある。これはまったく書き言葉(エクリチュール)な問題なのか、話し言葉(パロール)な問題なのかという問題に直結する。 私は親切ではないため、ここからはおもっていることを十全と書いていくが、押韻の研究範囲とは想像以上に多岐にわたってしまうということは呈示しておきたい。 純粋に押韻だけの問題を取り上げると、これは日本語ラップが「母音で押韻する」という、かつて日本語になかった画期的な技巧をみごとに呈示してくれたおかげで、おおよその広範にわたる押韻理解が進んだと認識している。 しかし、これは「ビート」という概念が、いわゆる「定型」