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2015年3月2日のブックマーク (2件)

  • 「文章力」の基本と「表現」を考える『危険な文章講座』 - ぐるりみち。

    なんだか変なを手に取ってしまったな、というのが第一印象だった。タイトルは、『危険な文章講座』。いや、「危険」ってなんやねん。どこはかとなく漂う、胡散臭さ。こんなん読んで、大丈夫なん? 開いて読み始めてみれば、どことなく「個人ブログ」のニオイがする書き口。 自身の主張に括弧を付けて、セルフツッコミをするスタンスだったり、「いや、冗談ですって。ちょっと比喩がオーバーでした。そんなに大層なもんじゃありませんて」という、表現の軽さだったり。……うん、ちょっと、謎の親近感を覚えてしまった。 にも関わらず、“文章講座”を冠する書名に対する疑わしさと、思わず「ブログでおk」とツッコミたくなるような軽妙さにモヤモヤを抱えながら、読み始めた書。 読み終えてみれば、「文章」に限らず「表現」や「言語」、果てはそれらを総合した「文化」にまで及ぶ示唆に富んだ内容であり、おもしろかったです。 そう、“良書”と言う

    「文章力」の基本と「表現」を考える『危険な文章講座』 - ぐるりみち。
  • 藤野可織『爪と目』―二人称が成功しているとは思えない - SHARPのアンシャープ日記

    あなたはこのエントリーを開く。予想通り長い文章が続いている。読む気がしないので、そっと閉じる― これが二人称文体だ。 第149回芥川賞受賞作の藤野可織の『爪と目』は二人称で書かれた作品である。「あなた」とは誰のことなのか、そしてその人を「あなた」と呼ぶ「語り手」は誰なのか。それはこの作品の特徴の核心をなすと言っていい。 この作品において「あなたは誰か」「語り手は誰か」というのは、ある種のミステリの叙述トリックにも似た核心なので、ここでのネタバレは避けておく。だが、その核心が明らかになった後、冷静に読み進めると辻褄の合わないこと甚だしい展開になってくる。 一人称であれば、自分のことは自分が一番良く知っている 三人称であれば、神の視点からは全てが客観的な事実になる。 では、二人称の場合はどうなのだろうか。 根的に「語り手はどのようにしてその事実を知ったのか」という問題が付きまとう。特に、この

    藤野可織『爪と目』―二人称が成功しているとは思えない - SHARPのアンシャープ日記