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ブックマーク / blog.gururimichi.com (6)

  • 自分の主張を持てない、独りよがりで“個人的”なブログ - ぐるりみち。

    ブログを「メディア」と捉え、何かしらの目的を持って運営していくのは今やひとつの王道になった気がする。でもその一方で、そこで紋切り型の強い言葉を並べて「発信」していくのは疲れるし、そもそも複数人で運営されているウェブメディアに敵うはずもないと思う。 — けいろー (@Y_Yoshimune) 2016年4月7日 この辺の話を、ちょろっと。 「わかりやすさ」が重要視される、ネットコンテンツ 自分の意見をはっきりと言葉にできる人、ある物事について論理的に話すことのできる人は、(皮肉でも何でもなく)当に心の底からすごいと思う。 トークイベントの登壇者、社員の前で話す企業のお偉いさん、テレビ番組のコメンテーター、ラジオパーソナリティーなどなど。さらには、ツイキャスやニコ生、ブログやTwitterといった、数々の個人ユーザーの中にも、日頃から持論を展開して支持を集めている人は少なくない。 そんな人た

    自分の主張を持てない、独りよがりで“個人的”なブログ - ぐるりみち。
    TokiMaki
    TokiMaki 2016/04/11
    「個人的」であることは「多面的」であるということ。自分語りを進めるうちに、(一貫したキャラクターとしての私ではない)複数の《私》が暴露されてゆく。そこが、面白いのだと思う。《私》は決してひとりではない
  • 文章の「推敲」してますか?ブログやレポートの「見直し」は大切! - ぐるりみち。

    学生ならばレポートや小論文。 会社員ならば報告書や考課票。 自分のブログを持っている人ならばブログ。 「読む」だけでなく、普段から文章を「書く」活動をしている人は意外と少なくないんじゃないかと思います。「手書き」の機会は減ったかもしれないけれど、キーボードに向かって文章を考える作業は日常的なもの。FacebookやTwitterだってそうだ。 ただ、そのような文章に日頃から接していて感じるのが、「その文章、ちゃんと『推敲』してますか?」というツッコミ。……いや、気軽に投稿できるSNSならいいんですよ。むしろ誤字が「ボケ」としておいしい状況になるかもしれないし。 しかし、1,000字以上の文量を伴う文章を読んでいると、意外と見かけるんですよね。ちょっとしたミスを。別に読めなくはないし、「こまけぇこたぁいいんだよ!」もそのとおりだとは思うのですが、なーんかもったいないなー、と思うので。「推敲」

    文章の「推敲」してますか?ブログやレポートの「見直し」は大切! - ぐるりみち。
    TokiMaki
    TokiMaki 2015/04/16
    意図せぬ脱衣こわい…:;(∩´﹏`∩);:
  • 自分が死んだらどうなるの?墓標としてのブログやSNSアカウント - ぐるりみち。

    丸2日と半日、体調を崩して寝込んでおりました。 水曜夜に「なんだか寂しいしダルい……あっこれ風邪だわ」と嫌な予感と確信を抱きつつ床に就き、その3時間後には高熱でうなされ目を覚ます。いつぞやの胃腸炎並みに腹を下し、ひぃひぃ言いながらオフトゥンに包まれていた格好でございます。 その人の平熱と体力、精神力によっても違いはあれど、高熱が出たときの精神状態って何段階かに分けられると思うんですよね。自分の場合だと、 37度台:仕事読書などはできるが能率が著しく低下、寝たい 38度台:通常活動困難、無性にお世話して欲しくなる、おっぱい 39度台:ネガティブスパイラル思考、あ、これ死ぬんじゃね? こんな感じかしら。今回は数年ぶりに40度寸前まで上昇したこともあり、「あー死ぬわー死ねるわー遺言書いてねーわー」なんてアホなことをアホだと知りながらも考えていた始末。たぶん。意識が曖昧ゆえ。これがアレか。俗に言

    自分が死んだらどうなるの?墓標としてのブログやSNSアカウント - ぐるりみち。
    TokiMaki
    TokiMaki 2015/04/11
    Web小説やWeb漫画でも、ある日を境にぱったりと話の更新が途絶えてしまって、作者さんの安否を心配することが多い。打ち切りなら打ち切りでメッセージを残してくれた方がやっぱり安心できる。
  • 「感情的な文章」ってなんぞ?すべての文章には感情が宿る - ぐるりみち。

    インターネットが普及したことで、僕らは気軽に自分の感情を「ことば」として可視化し、書き込むことが可能になった。その場で感じた想いをTwitterで呟き、心に訴えかけるコンテンツをFacebookでシェアし、まとまった思考をブログに落とし込む。 その「ことば」の多くは、何かを思い、考え、それを言語化し「文章」として描き出したもの。ゆえに、SNS上に溢れかえる「ことば」の多くは感情位のものである。そう言っても差し支えない……はずだ*1。 しかし、感情位であるはずの「ことば」を用いて人に何かを正確に伝えようとするのは、思いのほか難しい。なにをおっしゃるうさぎさん──とツッコまれるかもしれないが、意外に伝わらないもんっすよ。誤読・曲解はあって然るべし。 また、個人のブログ論などを読んでいると、「ブログは感情的に書くべし!」という主張がたびたび目に入る。もちろん、自分の好き勝手に書くだけならば簡

    「感情的な文章」ってなんぞ?すべての文章には感情が宿る - ぐるりみち。
    TokiMaki
    TokiMaki 2015/03/27
    感情はレトリックだと考えている。例えば《女性は若いうちに結婚した方が良い》という主張を「商品価値があるうちに」と表現するか「自分が一番輝いているうちに」と表現するか。同一の意味内容でも感情は正反対に。
  • 読書のインプット・アウトプットの前に必要となる「思索」とは - ぐるりみち。

    読書について 他二篇 (岩波文庫) posted with ヨメレバ ショウペンハウエル,斎藤 忍随 岩波書店 2016-10-20 Kindle Amazon もともと自分のいだく基的思想にのみ真理と生命が宿る。我々が真の意味で十分に理解するのも自分の思想だけだからである。書物から読みとった他人の思想は、他人のべ残し、他人の脱ぎ捨てた古着にすぎない。 生まれ落ちて20余年。「趣味読書です!(※ただし雑かつ当に単なる “趣味” )」を地で通してきた自分にとって、書は脳天直下、深くまで突き刺さり、根幹を揺るがしかねない刺激をもたらしてくれる良書でした。ショウペンハウエル著『読書について』。 いつものように普通に読みはじめたところ、ざっくりと感想を書くだけというのも憚られるほどに興味深く文章に浸っている途中。まずはひとつめの文章『思索』を読み終えたので、読書ノートにメモった要約を参

    読書のインプット・アウトプットの前に必要となる「思索」とは - ぐるりみち。
    TokiMaki
    TokiMaki 2015/03/21
    ショウペンハウエルの『読書について』、読書のススメ!的なタイトルとは裏腹に、すごく毒舌/痛快に、漫然と読書することを批判していて、ある意味で書評ブログ泣かせの本だけれども、文句なしの名著だった。
  • 「文章力」の基本と「表現」を考える『危険な文章講座』 - ぐるりみち。

    なんだか変なを手に取ってしまったな、というのが第一印象だった。タイトルは、『危険な文章講座』。いや、「危険」ってなんやねん。どこはかとなく漂う、胡散臭さ。こんなん読んで、大丈夫なん? 開いて読み始めてみれば、どことなく「個人ブログ」のニオイがする書き口。 自身の主張に括弧を付けて、セルフツッコミをするスタンスだったり、「いや、冗談ですって。ちょっと比喩がオーバーでした。そんなに大層なもんじゃありませんて」という、表現の軽さだったり。……うん、ちょっと、謎の親近感を覚えてしまった。 にも関わらず、“文章講座”を冠する書名に対する疑わしさと、思わず「ブログでおk」とツッコミたくなるような軽妙さにモヤモヤを抱えながら、読み始めた書。 読み終えてみれば、「文章」に限らず「表現」や「言語」、果てはそれらを総合した「文化」にまで及ぶ示唆に富んだ内容であり、おもしろかったです。 そう、“良書”と言う

    「文章力」の基本と「表現」を考える『危険な文章講座』 - ぐるりみち。
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