昭和20(1945)年5月、従軍カメラマンとして最前線で活動していた小柳次一(1907年〜1994年)は、熊本県の健軍飛行場で義烈空挺隊に密着取材を行いました。隊員が出撃する直前まで、かたわらで過ごし、隊員たちが、家族への遺書や手紙をしたためて爆撃機に搭乗する最期の姿を写真に収めました。死地におもむく隊員にカメラを向けるのはやるせないことでしたが、全てを記録しなければならないと自分に言い聞かせて撮影しました。 終戦から20年後の昭和40(1965)年、小柳は戦争写真展を開催し、義烈空挺隊の勇姿を公開しました。それは、残された家族に対する自身のつとめであり、亡くなった隊員への鎮魂の想いでもありました。 本企画展は、従軍カメラマン・小柳次一の軌跡を振り返るとともに、当時の写真や手紙を通して、義烈空挺隊の素顔に迫るものです。 ※小柳次一 昭和13年から終戦までの長期にわたり、主に陸軍嘱託の従軍カ
舞踏家桂勘主宰の舞踏フェスティバル『Kyoto Dancing Blade #2』に呼ばれて、7月15~17日、京都を訪れた。さらに、18日には奈良に移動して1泊した。 舞踏フェスでは、夜舞台を見て、その後、トーク「鼎談」に参加するというもの。そのため、昼間は、かねてから気になっていた京都の歴史的建造物を見て回ることにした。 関連記事 https://tokyo-live-exhibits.com/blog062/ 京都は寺社の街で数多くの神社仏閣がある。中学校、高校の修学旅行、そして近年、京都を訪れた際も、いくつかの寺を訪ねた。 だが、寺社は全面的にその姿を変えることはめったにないが、洋風建築の歴史的建造物は、東京を中心にその多くが破壊され、建て替えられている。そのため、姿をとどめるうちに見ておきたいのだ。 また、このコラムの第2回で書いたように、神保町のアートに関わり、そこで一つの歴史
本企画展示は、「色」をテーマとした館蔵資料展として企画しました。ここでは「色」という言葉を大きな意味でとらえ、赤,黄,青…などといった「いろ」にとどまらず、素材のもつ質感や微細な構造がかもす「つや」、そしてそれらの組み合わせがつくる「かたち」までを含めて考えることとしました。 特徴的な「いろ・つや・かたち」をもつ館蔵資料を取り上げ、歴史学・考古学・民俗学・自然科学の観点から展示・解説を行い、日本における色と人間とのかかわりについて考えます。権威あるいはおそれを象徴する存在としての色、職人らによって生み出される技芸としての色…「色」というキーワードから、館蔵資料のさまざまな見方を引き出してみたいと思います。 本展のみどころ ○建造物彩色、染織工芸、浮世絵版画、漆工芸、考古遺物、隕鉄剣…歴博の多彩な館蔵資料を紹介し、その「いろ・つや・かたち」が示す人間の営みについて考える ○あなたがたはなぜ歴
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