◇「親の声、謙虚に聞く」 福島医大で甲状腺検査の責任者を務める山下俊一副学長に、課題を聞いた。 −−検査の目的は。 ◆県民の健康増進のための医療サービスで、決して調査研究ではない。WHO(世界保健機関)の推計で、福島住民の被ばく線量はどんなに高くても100ミリシーベルト。100ミリシーベルト以下の健康リスクは明らかには証明されていない、または非常に小さいというのが科学者の国際的合意だ。 −−県外でセカンドオピニオンを求める保護者が増えているが。 ◆改善策を考えなければならない。医師の考え方とお母さんの立場にギャップがある。謙虚に声を聞き、信頼関係を築きたい。 −−放射線の影響をどう判断するのか。 ◆小さながんも見つかるだろうが、甲状腺がんは通常でも一定の頻度で発症する。結論の方向性が出るのは10年以上後になる。県民と我々が対立関係になってはいけない。日本という国が崩壊しないよう導きたい。チ
秘密会を終え、検討委員会の会場に向かう委員会メンバーら=福島市杉妻町で2012年9月11日午後1時55分ごろ、武本光政撮影 東京電力福島第1原発事故を受けて福島県が実施中の県民健康管理調査について専門家が議論する検討委員会を巡り、県が委員らを事前に集め秘密裏に「準備会」を開いていたことが分かった。準備会では調査結果に対する見解をすり合わせ「がん発生と原発事故に因果関係はない」ことなどを共通認識とした上で、本会合の検討委でのやりとりを事前に打ち合わせていた。出席者には準備会の存在を外部に漏らさぬよう口止めもしていた。 県は、検討委での混乱を避け県民に不安を与えないためだったとしているが、毎日新聞の取材に不適切さを認め、今後開催しない方針を示した。 検討委は昨年5月に設置。山下俊一・福島県立医大副学長を座長に、広島大などの放射線医学の専門家や県立医大の教授、国の担当者らオブザーバーも含め、現在
東京電力福島第1原発事故を受けた福島県の県民健康管理調査について専門家が意見を交わす検討委員会で、事前に見解をすり合わせる「秘密会」の存在が明らかになった。昨年5月の検討委発足に伴い約1年半にわたり開かれた秘密会は、別会場で開いて配布資料は回収し、出席者に県が口止めするほど「保秘」を徹底。県の担当者は調査結果が事前にマスコミに漏れるのを防ぐことも目的の一つだと認めた。信頼を得るための情報公開とほど遠い姿勢に識者から批判の声が上がった。【日野行介、武本光政】 9月11日午後1時過ぎ。福島県庁西庁舎7階の一室に、検討委のメンバーが相次いで入った。「本番(の検討委)は2時からです。今日の議題は甲状腺です」。司会役が切り出した。委員らの手元には、検討委で傍聴者らにも配布されることになる資料が配られた。
原子力規制委員会の事務局である原子力規制庁の森本英香次長は28日の記者会見で、Jパワー(電源開発)大間原発(青森県大間町)の建設工事再開について「(建設を)待ちなさいということはない」と事業者判断に委ねる考えを示した。ただし、規制委は今年度末にも骨格を示す新基準で安全性を審査する方針で、適合しなければ運転は認められないことになる。 このため、審査が終わるまで工事を再開しないほうが無駄がない可能性もあるが、森本次長は「それを承知で建設するのは、事業者の判断だ」と述べた。 大間原発の工事は昨年3月の東日本大震災で中断し、進捗(しんちょく)率は37.6%。原発の新増設をめぐっては、政府の革新的エネルギー・環境戦略で認めない方針を盛り込んでいるが、枝野幸男経済産業相は着工済みの原発については建設継続を容認する姿勢を示していた。【岡田英】
原発の将来をめぐる政府方針の動揺を私は批判しない。決めればいいという問題ではないと思うから。国民の幸福観の分裂が背景にあると思うから。混乱の根っこにまでさかのぼって考えなければ解けない難問だと思うからである。 異端の経済学者、シューマッハー(1911〜77)の予言的著作に「スモール・イズ・ビューティフル」(邦訳は講談社学術文庫)がある。73年、石油ショック直前に危機を予測、ベストセラーになった。危機が去ると忘れられた。3・11後の目で読むと、原発の危険を言い当てたくだりが新鮮だ。 「原子力/救いか呪いか(Salvation or Damnation?)」という1章を設け、「原爆より平和利用(原発)が人類に及ぼす危険の方がはるかに大きいかもしれない」と書いた。著者はドイツ生まれの英国人。近代経済学の巨人、シュンペーターとケインズに師事し、英国石炭公社に長く勤めた資源派エコノミストでもある。
<この国はどこへ行こうとしているのか> ◇「お任せ」せず実践して−−池内了さん(67) 白い首振り扇風機が、ぐるりぐるりと回っている。天井のクーラーは、ぴたりと止まったままだ。「この夏が最大のチャンスだったんだけどねえ」。神奈川県葉山町にある総合研究大学院大学で、同大教授で宇宙物理学者の池内了さん(67)は悔しそうにため息をついた。政府による関西電力大飯原発の再稼働の話である。 「私たち国民の方はすっかり覚悟を決めていたわけですよ。この夏は原発抜きでやろうって。企業も生産シフトや自主電源の確保などの準備をしていた。この夏をうまく乗り切れば、『なーんだ、やれるじゃないか』となって、脱原発社会への自信をつけられるはずだった。それなのに再稼働してしまうなんて」 大きく開け放たれた窓。山の緑や空の青はすっかり夏の色だ。開襟シャツ姿の池内さんの額には、汗一つない。研究室のクーラーはつけない。慣れれば
市場に流通しない自家栽培の野菜を食べた福島県の70代男性2人が、比較的高い1万ベクレル超の放射性物質を取り込む内部被ばくをしていたことが、東京大医科学研究所の調査で分かった。うち1人は約2万ベクレルに達したが、これによる被ばく線量は年0.85ミリシーベルトで、国が設けた食品からの被ばく限度(年1ミリシーベルト)は下回った。調べた坪倉正治医師は「健康被害が出るレベルではないが、自家栽培の野菜などを食べる場合は検査してほしい」と話す。 2人の男性は、同県川俣町と二本松市在住。今年7〜8月、内部被ばく量を測定する装置「ホールボディーカウンター」を使い、体内の放射性セシウム(134と137)の量を調べた。その結果、川俣町の男性からは1万9507ベクレル、その妻からは7724ベクレルが検出された。二本松市の男性の内部被ばく量は1万1191ベクレル、妻は6771ベクレルだった。いずれも東京電力福島第1
◆そういう次元の高い話になると今すぐに答えがないが、やっぱり発電所をどうきちっと安定化させるかがベースだ。そこができていない中で、地元にお帰りいただくわけにはいかないので、そこが最大の(課題だ)。これは事故当時も言っていたが、日本国中だけでなく世界の知恵を集めて、より発電所、第1原発をより安定化させることが一番求められている。いろいろなだれの責任うんぬんということもきちっとやるべきだが、やはり発電所を少しでも安定させる。それには人も必要だし、技術もいろいろな知恵が必要だ。そこに傾注するということが重要なことだと思う。そのうえで、地元の方々に(通常の)生活に戻っていただけるか考えることができる。いずれにしても現場を落ち着かせる、安定化させることが一番重要な責務だ。私はちょっとまだ十分な体力がないが、戻ったらそういう形で現場のために力を届けたい。
−−原発に残ったメンバーの名前をホワイトボードに書くように指示したとのことだが、どのような思いだったか? ◆ほとんどその時のことを思い出せないが、たぶん、要するに最後まで残って戦ったのはこんな人間だぞということを残しておこうということだ。今から思えば。わかんないですよ。私自身。本当に。 −−墓標になると思って書いたということか。 ◆はい。そうだ。 −−最後に何かお話はあるか? ◆いずれにしても今回の事象は、いろいろ国会とか政府事故調、民間事故調などで書かれているが、我々は特に政府事故調にはすべてを話をさせていただいた。マスコミの方からいろいろ問い合わせがあるが、お話は全部すべてそちらでさせていただいているので、そこをベースに考えていただければいいと思っている。ただやっぱりなかなか我々の肉声というのは通じない。調査委員会を通すと肉声がなかなか届かない。その部分はいろいろな形でちゃんとメッセー
◆今回一番インパクトがあったのは1号機もそうだが、3号機の爆発というのがあった。これは今まで経験した中で非常に、あとから考えれば水素爆発だったが、その時点では何が起こったかわからないという状態なので、これから、もう破滅的に何か起こってるんじゃないかと思った。爆発について。一つは自分が死ぬということ、メンバーも含めて、免震重要棟の人間は死んでたっておかしくない状態だった。3号機なんかは特にそうだった。あれだけのがれきが飛んできて。私は、最初は行方不明者が何人ということを聞いた時に、確か数十人レベルでまだ安否が確認できていないというのが最初の状況だった。ああこれは10人ぐらい死んだかもしれないというふうに思った。そこから時々刻々、だれだれがという話が入ってきて、軽傷の人間は何人かいたが。それから自衛隊の方には本当に申し訳なかった。水を補給しにきてくれた自衛隊の部隊がけがをされて、本当に申し訳な
−−吉田さんは所員の精神の支柱だった。 ◆私は何もしていない。私のとりえは福島第1原発に4回、赴任したことだ。第1原発のメンバーの名前もほとんどわかっているし、協力企業さんも結構つきあいがあり、名前で呼べるんですね。「○○さん、○○くん、大丈夫か」とか。それだけだ。それで声をかけただけだ。私は。何もできていない。みんなやってくれたということだ。いまだにそう思っている。 −−事細かなコミュニケーションをとったということか? ◆そうだ。やはり知らない間じゃないということだ。昔から一緒に仕事をした仲間だ。そういう仲間が大変な現場に行って帰ってき、出て行くというのを見ているので、頭を下げるしかない。 −−3号機が爆発した段階では死ぬかと思ったか?
◆覚悟というほどの覚悟があったかはよくわからないが、結局、我々が離れてしまって注水ができなくなってしまうということは、もっとひどく放射能漏れになる。そうすると5、6号機はプラントはなんとか安定しているが、人もいなくなると結局あそこもメルト(ダウン)するというか、燃料が溶けることになる。そのまま放っておくと、もっと放射能も出る。福島第2原発も一生懸命、プラントを安定化させたが、あそこにも人が近づけなくなるかもしれない。そうなると非常に大惨事になる。そこまで考えれば、当然のことながら逃げられない。そんな中で大変な放射能、放射線がある中で、現場に何回も行ってくれた同僚たちがいるが、私が何をしたというよりも彼らが一生懸命やってくれて、私はただ見てただけの話だ。私は何もしていない。実際ああやって現場に行ってくれた同僚一人一人は、本当にありがたい。私自身が免震重要棟にずっと座っているのが仕事で、現場に
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