7月中旬過ぎの子供たち 7月上旬(下の写真)から比べれば大きくなった 子供よ集まれの合図のよう 7月下旬の子 子供が大きくなったので巣の増築か? 葉っぱや枝をくわえて何度も往復したので、たくさん撮ったが同じような写真ばかり だれか手伝ってくれと叫んでいるよう 数日後この巣のようなものは枝葉の陰になって、状況を確認することができなくなった
(セントーレア・モンタナ) いつもの通り名称に間違えがあればご指摘願います (アジュガ) (アネモネ) 雪の重たさに枝が折れるのも自然なことと 数年前から木の雪囲いを簡略してきたが、 枯葉が隣の舗装された敷地に飛んでいく (オオイヌノフグリ) 隣の人は気にしないでと言ってくれるが 影響するライラック2本を先日伐採した 私もやるときはやる・・・うそ 友が伐採し処分まですべてをしてくれた (アマ) 友は現職時代の後輩であるが、生活面での先輩 いろいろと教えてもらい、その都度援助を受けてきた 彼のほかにも多くの方々が援助してくれているが これらをいずれ思いつくままに語ろうと思う (アヤメ) (サルビア) (ヒメツルニチニチソウ) (キャットミント) (ノハラムラサキ) (ブルンネラ?) (ペンステモン)
(スズラン) (スノーフレーク) 小学5年生の火事の経験から(最終) 寒い夜、友達に連れられて初めて銭湯に行った 銭湯の大きさに驚きながら、風呂上がりにビンのコーヒー牛乳を飲んだ 外に出ると濡れた髪が凍って、髪を曲げると折れるのではと思ったが、真冬でもそんなことはないと友が笑った 大金をかけて旅館を建てても元が取れるまでは続けられないから、働きに出た方がいいと、すでに務めていた長男が母に言っていたが、 母の希望で、最小限の設備で旅館をすることになった 結果は80歳頃まで細々と旅館を続けた (旅館業は客室5室以上でそれ相応の施設を完備する規定があり、民宿は客室等の規定は無い~当時の法律) (ナルコユリ) 常連客の多くは雑貨・食料品・酒・薬などの行商人で、時期的に大型農機販売や土木建築関係者が主だったが、 新たな旅館でも続いて利用してくれた 全道各地を回る問屋さんたちは、旅館ができる前から立ち
いつもの大きい池で一番多いのがカルガモ 最初に現れ最後までいる 暖かくなると動きも活発で仲間とじゃれあう カルガモのように活発に動いていたのは遠く昔のこと 今はおとなしくパソコンを触っている時間が多くなった またジジイだと妻が言うが、 確かに、肩を丸めてあごを出して歩いている 友達についてきた子供に、おじちゃんが・・・と言うと 友におじいちゃんだと指摘される おじちゃんと呼ばれると何か買ってあげたくなる 若いつもりだが75歳のジジイ 子供の頃の事を書くのも年寄りの証拠なのだろう (藤の花) 小学5年生の3月のこと 向かいの家から出火した火事は9件が全・半焼で3軒が部分焼の大火になった 我が家は職人さんが廊下の曲がり角の屋根に穴を開けてくれたこともあり、そこで消火されたが (火は廊下を走るので、学校などの長い廊下には所々に防火用の区切りが付いている) 旅館と住居が燃え、雀荘部屋と便所、柾工場
おしどり夫婦と言うが、オシドリの夫は浮気者 今時は仲良くしているが、することをすれば子育てもせず遊びまわるようだ 夏頃には、首周りの美しい毛が無くなる これが天罰か? クールビズか? 小学3~5年生の雀荘での出来事など 一般住宅にはまだ電話がないころ、 メンツが一人足りないからと、呼びに行かせられる 勝ちが多い旦那の奥さんは愛想良く対応してくれるが 多くの奥さんは嫌な顔をする・・・つらい 朝から長時間続けるとテンカンを起こす人がいて、 隣がトイレだったので、顔の上にトイレのスリッパを乗せて(そういう迷信がある)みんな帰っていく 数十分たつと「みんなどうしたんだ」と起き上がる テンカンを起こした記憶は無いようだ 後ろで見ていると、牌(パイ=トランプはフダ、将棋はコマ)を並べる時に詰め込みをする人がいたり、 牌を持ってくるときに、牌1個を手のひらに隠し持ち、 2個の牌を取りながら同時に手のひら
今回から鳥たちの連載の予定だったが、 花たちが「私たちの美しい姿はいつになるの」と訴えるので、次回から鳥と花を混ぜながら2日に1回程度で発信予定 5月上旬には姿を消すモクレンが今咲いている 品種が違うのか、寒がりの木なのかはわからない (ライラック白とピンクと紫) 小学3年生の時のこと 柾工場(まさこうば)の一部を8畳2室の麻雀荘(マージャン部屋)にしたので 学校から帰ると両替やお茶出し、出前の注文など使い走りをしながらマージャンを見ていたので、4年生にはマージャンを覚えていた 自営業者や役場、学校、農協、会社などの職員で 飲食物の好みや、喧嘩早い・金にルーズ・紳士的など多彩な性格があることもわかった 平日の日中にも来ているので、仕事はどうなっているのだろうとの疑問は持っていた 雀荘ではいろいろな出来事があったが次回に (ハナズオウだと思う)
(ヒヤシンス) 次から次と咲く花を追いかけているつもりが、花に追われている感じ。 人の名も花の名も覚えられないので、写した後に名前を調べるのに苦労している。 結局○○かな?で終わるのも多い。 なので、間違えていたらご指摘願います。 (スイセン) (ヒマラヤユキノシタ) またまた小学生の頃の話・・・これからも続くが、 数年前にもブログで書いたようなことが多々ある点ご了承願います。 (ムスカリ) ある金持ちのお抱え運転手をしていた近所のおじさんが、その車を退職金としてもらって我が町に帰ってきた。 一般家庭では、まだ車も電話も無い時代、 その車でハイヤー業を始めたが、客はほとんど無く困っていた。 (ところで、都会がタクシーで田舎がハイヤーではないですよ。タクシーは街中を流し客がいそうな場所で待機出来、ハイヤーは予約・連絡を待つという違い) (サクラソウ) 学校帰り頃に急に降り出した雨の日、 先生
大きな鳥たちは、浮き上がるまでは走り続ける。 飛行機と同じで、大きいほど滑走距離は必要で、 向かい風を受けて飛び立つ。 (青空だと、泥水の川も青く綺麗に見える) 飛び上がれば優雅。 羽の汚れは、餌を得るための苦労の証。 またまた幼少期の話。 その頃はまだ終戦後の不安定な社会情勢が続いていて、 泊り客も何かと問題を抱えていた人もいた。 特に女性客は、追ってきた男にたたかれたり、自殺(自殺未遂)する人もいて、それを子供ながら見てきた。 ある日、私と同じぐらいの幼女を連れて泊った女性も、男から逃げてきたそうで、母は可哀そうに思い、 飲み屋だった隣の家を無料で貸し、その母子を住まわせ飲み屋をさせた。 商売も軌道に乗り、生活も落ち着き母子仲良く暮らせるようになって、 私にも親切にしてくれた。 一方、いつもの通り私は兄たちにからかわれ、命令され自由にならないことに不満があり、のがれる方法を子供なりに考
今回はすでに旅立ったマガンの飛ぶ姿。 今回も写真とは関係ない話。 小学生の時、終戦直後は食料不足で、その頃の子供たちの多くは栄養失調だったと先生に教えられ、 だから僕も体が細いのだねと母に言った。 母が言うには、食べ物は豊富にあったと言う。 子供が多く、使用人もいて配給米では到底足りないところだったが、 旅館は母が営み、父は柾屋(まさや)だった。 (トタン屋根になる前は、薄い木(柾)を瓦のように並べて屋根に打ち付けていた。) 農家ではワラ屋根がまだあって、柾屋根に替える時期だったよう。 農家はお金が無く、こちらは食料がないことから、工賃は米や野菜の農作物だった。 だから食料は十分にあって、旅館も続けられたとのこと。 当時の米はすべて配給米に限られて、個別流通はできないことになっていたが、 年貢米を納めていた大昔から、農家は米を隠す知恵があって、それは続いていた。 ある日警察による米の所有検
白鳥(コハクチョウ)は餌を得るため、日中は農地にいる。 それも雪が残っているような、水分量が多い農地。 だから、白鳥の多くは汚れている。 今年も多くの白鳥が滞在してくれたが、 私が子供の頃、白鳥を見ることはなかった。 1980年頃から白鳥が飛来してくるようになり、 我が町の観光パンフに白鳥の写真が使われて、 住民も白鳥が来ていることを知った。 今では、農家の家の近くでも見られるほど増えた。 北に帰る長旅前の休息。 北から来て本州に向かう秋には、見ることができない。 山境の隣町には来ているのだが。
今回は3月中旬に写した写真。 小学校低学年の経験。 神社祭りには道路沿いに沢山の屋台が並ぶ。 その露天商は的屋(テキヤ)と呼ばれていた。 露天商の多くは露店のテントで寝ていたが、 的屋の元締めなどは旅館(私の家)に泊っていた。 毎年のことなので元締めなどと顔見知りになっていた。 露店のしょば代(場所代)集めのお供をしたこともあって、 金魚・お面・綿あめなど手に持てないほどもらった。 ある時、親分?の一人が「坊や背中を流してくれ」と言うので一緒に風呂に入った。 一生懸命背中をこすって、こすって、「全然落ちないよ」と言うと、これは落ちないんだと笑われた。 背中全体に描かれた恐ろしいような絵。 初めて見てふれた刺青(いれずみ)だった。 (朝方はまだ寒いので鼻息が白く見える) 露天商は近所の家から水をもらったりしていた。 露店が並ぶ道路は町道なので、的屋の元締め立会いのもと、町担当者がチョークで場
へたる馬(上)なつく馬(下)はどこにもいる。 馬の牧場は数か所に分かれていて、以下は親子の馬だけがいるところ。 汲み取り式のトイレが主流の頃、バキュームカーで便を汲み取る仕事をしていた悪友は、 独特な匂いで医者より先に糖尿病を発見できると言う。 写真に合わない内容の点ご勘弁願います。 便槽に浮いているコンドームの数で、夜の営みが盛んなこともわかると言う。 コンドームは使用後、空気が入らないよう縛ると便槽で沈むそうだ。 今は関係ない昔の話。 処理センターに運ぶのを、畑にまいてくれと言う農家もあったそうだ。 確かに昔は臭いにおいの畑があちこちにあった。 コンドームをかぶった野菜が出来たら面白いな・・・ 真空パックされたキュウリです・・・ いろいろ想像しながらバカを言っていた若かりし頃。 (路上のムクドリ) 以下、牧場から見る風景
柵でわけられている放牧地が数か所連なっていて、 それぞれに馬がいるがその分類はわからない。 雪降った朝、馬の通り道と作業道を兼ねての除雪作業。 前々回のブログでヤクザの落し前を延べたが、 その前段の話。 指を差し出すことになり、 仲間が集まり問題を起こした友Bの指を包丁で切り落とそうとしたが出来ず。 翌日、知り合いの整形外科医に指を切ってくれと依頼したが断れてのことだった。 数か月後、切ろうとした仲間の一人Cが、機械に挟まれ左手の指を切断。 あの時切断すれば良かったのにと皆にからかわれる。 後にCが言うには、障害者認定は左右どちらの指でも同じだから、利き手のほうでなくて良かったと障害者手帳を見せびらかしていた。 友A以外はみんな年上の仲間。 私が公務員であることを考慮して、ヤバイ場面では誘ってくれなかったが、 一般人の生活では経験しないであろうことを体験したので、おいおいブログで掲載しよう
早朝の風景写真から 東京では大雪でいろいろ障害が起きたそうだが、 こちらでは「除雪が楽で良かったね」程度だろう。 ただ雪が降っている時の雷には驚いた。 調べてみると、雪雷(ゆきいかずち・せつらい・ゆきがみなり) 雷雪(らいせつ) 雪起こし(ゆきおこし)・・・ 表現がいろいろある。 20代の忘れられない出来事。 付き合ってくれと神妙な顔で友Aに言われて、 雪降る夕方に海岸線を走行中、 もし俺が動けなくなったら家までつれて帰ってくれと言われたちょうどその時、 恐ろしいほどの光と爆音の雷が数回鳴った。 友Aの友Bが、やくざ者に約束した薬を用意できなくなり、落とし前をつけられたとのこと。 そのやくざと多少の面識がある友AがBのために交渉に行くと言う。 その家の前で数十分。 エンジンを止め吹雪の寒い車の中で待っていた。 友人のために来るとは根性があると、 落とし前は取らないこととなって無事に笑みを浮
くちばしの付け根が傷なのだろうか。 硬い木を突いたのだろうか。 虫を見つけるのに苦労しているのだろうか、胸がボロボロの様な感じ。 キツツキなのに、小鳥の餌を食べに来たようだ。 以下早朝のモヤがかかった風景。 通常はその奥に農家の家などが見えるところ。 晴天が続いている今日この頃、最低温度も氷点下10℃まで下がらず、除雪するほどの降雪も無く、 私が代表をしている組織と、事務局をしている組織の 新年総会を終えて少し落ち着いているところ。
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