8世紀の奈良平城京における重金属汚染 2014年9月5日 川幡 穂高(東京大学大気海洋研究所) 平城京は奈良時代の日本の首都(710~784年)で、唐の都「長安」にならい建造されたとされる。サイズは南北東西それぞれ約5km、人口は10~20万人と推定され、シルクロードの終着点でもある国際的な大都会であった。人間活動も活発で、律令制度に伴う物資の輸送も増え、寺院も沢山建てられた。 UNESCO世界遺産にも登録されている奈良東大寺金堂(大仏殿)は長らく世界最大の木造建築物として有名であった。 特に「大仏さま」と呼ばれる東大寺盧舎那仏像は偉容を誇っていた。現在の「大仏さま」は銅の錆である緑青色であるが、当時は金ぴかであった。光り輝いた大仏を作るためには,金を大量の水銀に溶かし(アマルガムと呼ばれる)、それを塗布して、最終的に火であぶって水銀を蒸発させ、金メッキとした。平城京から平安京への遷都はこ