ブックマーク / goisan.hatenablog.com (1)

  • 昔と今、先生の本質は変わらない - goisan's diary

    1977年にごいさんは先生になった。前にも書いたが、正直、先生としての自覚も薄かったし長く続けようという気も無かった。それでも先生ってこういうものだろうというイメージは持っていた。 それは自分が高校の時に教わった先生たちだ。日史の先生は1年間ずっと縄文式土器をいじっていて、そこで歴史は止まってしまった。だから弥生式以降は独学。数学の先生は何十年使っているか分からないような黄ばんだファイルをおもむろに広げ、無表情のままに淡々と授業を進めていく。それでも教科書は終わらず、指数や対数は自分でやっておくようにということだった。漢文の授業はそのほとんどが中国文化や生活習慣の話で、それが面白くて漢文が大好きになった。教えてくれたのは教頭先生だった。生物の先生はおしべとめしべの話で男子クラスの全員を引きつけ、それだけで1年間持たせた。古文の先生は、中庭の散歩をしながら万葉集を歌った。 どの先生も自分

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    Utasinai
    Utasinai 2015/02/13
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