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  • 短歌に詠まれる立山 山靴の歌

    立山は、もともと修験者の山として、天台宗や真言密教の隆盛と一緒にさかんになったところで、開山は七〇一年、佐伯有頼とされていて、その開山の伝説がいまに伝えられている。有頼は立山修験道を、芦峅寺から弥陀ケ原、天狗平から室堂、そして雄山に至る道を完成させた。天台宗の修験者のたどる立山別山ルートとなる。所謂「表参道」である。真言宗のほうは上市郊外の大岩日石寺を基地に、折立を経て経て伊折に至り、馬場島から剣岳や大日岳に修業の場を求めたと言われている。いわば裏参道と言わるルートであった。それが、江戸時代に通行禁止にされて衰退する。立山曼陀羅に剣岳は魔の山として描かれ、登ってはならないとされる。他方、天台宗ルートは立山登山道として認められ、芦峅村は案内人の村として繁栄した。 宗教の対立と村の経済の対立と藩の政治的・経済的利害とが絡んで、裏参道が封印され、表参道への集中が図られたのに違いない。この経緯を社

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