アーティストはJASRACから搾取されている、という批判をよく耳にするけれど、かなり違和感を覚えたりする。その第一の理由としては、JASRACとアーティストが直接著作権の信託契約を結んでいることはほとんどないということ。他によく耳にする批判として、JASRACが音楽の流通を阻害しているのだ、JASRACはアーティストの敵だ、という感じのものがあるのだけれど*1、音楽配信やネットラジオで音楽の利用がうまく進まず、それによって利益が生み出されない状況はアーティストの不利益でもあるとは思っているものの、それが主としてJASRACのせいだとは思えないんだよね。この辺のことを考える上では、JASRACの管理する音楽著作権と、JASRACの管理していない著作隣接権を分けて考える必要がある。 音楽著作権と隣接権の問題って、作詞作曲者とマネジメントとの契約、演奏者とマネジメントとの契約、マネジメントと著作
Ricoh GX100 / Ikebukuro / Tokyo. ひさびさのセックス論。都立大(現・首都大)卒業後、性風俗業一本で生き抜いてきて、30代後半にしていまだに現役という山口みずかさんの書いた『独身女性の性交哲学』を書評します。海岸沿いを歩きながら頬を風でくすぐられたような、実に爽やかな読後感が残る一冊。ネット上にまともなレビューがまだないようだし、週末なので、かなり長い記事を書きます。セックスの生々しい話も多くて、示唆に富んでいますよ。 私が風俗嬢という職業に魅力を感じたのは、女らしさを媚態していい男をゲットするという全人格を賭けての勝負をして、専業主婦になることを望まなかったからだ。中途半端にガリ勉で、男女平等を規範にしていたから、男性に養われること自体が、負けのような気がしていた。かといって、男性と同じ社会で肩を並べてばりばりやっていけるほどの能力も自信もない。バブルは弾け
はてなはなぜ潰れないのか はてなの本社京都移転関係で、はてダや増田で的外れな分析がたくさんありますが、FUDだと思うので、そろそろ一言言っておきます。 そもそも、今回の京都移転は、事業拡大です。オフィスも広くなるし、広くするのは人を増やす予定があるわけです。語られるイメージとは逆に、はてなは増収増益を続け、右肩上がりに成長し続けています。 確かに資本金は少ないのですが、上場してないんだから、そんなむやみに増やす必要はなく、代わりに内部留保を分厚くしているようです。また、ベンチャーキャピタルに頼らない、健全黒字経営志向です。 要するに、キャッシュがあるので、社長がアメリカに行った位では全然傾かない。それにしても、何がどのように儲かるのか、詳しく見てみましょう。 はてなはなぜ儲かるのか はてなは意外と「変な会社」ではなくて、収益構造が分かりやすいし、美味しいビジネスモデルだと言えます。はてなは
物忘れが増えてきたような気がする。歳のせいにするには早いんだろうけど、なぜそうなっているのか閃いたので忘れないうちにメモしておく。 人間であるから、聞いた事を忘れてしまうというのはよくあること。気に留めてないと忘れちゃう。忘れるくらいの事なのでささいな事だったりするから、言われた人に謝るときも、ごめんごめんですむ場合がほとんど。申し訳ありませんレベルまではいかない。これは誰もが経験するレベル。 最近はこのレベルを超えてきている事に気が付いた。聞いた事を忘れるではなく、言った事を忘れてしまう。言った事を忘れるというのは、とてもヤバイ。こっちが言った事に関して、相手はなんらかのアクションをしている事が多いし、少なくとも記憶に留めておいたりメモを取ったりしている。だから言った事を忘れるというのは、ごめんごめんレベルでは済まず、自らの信頼を落とす事になる。そそっかしい人だなという域を超えてしまう。
雑談最近話題の「店員に「ありがとう」と言う人が大嫌い。」問題ですが、私も例に漏れず「いやいやいやいや、それはいくらなんでも、ありがとうくらい普通に言うだろう!」と思ったクチなんですけど、関西出身の私の「ありがとう」と、関東の「ありがとう」は違うかもしれないと思って朝からtwitterに書きなぐってました。 関西弁でのありがとうはイントーネーションが「ありがとー↑」という感じで、かなり普通に使う。エレベータの扉とかデパートの扉をあけて待ってくれてたり、バスを降りるときとかね。私は散髪したあとで店を出るときとかにも言いますね。そんな感覚なんで、この質問には「えーーーこれどういうこと?? 世界広すぎる!!!」とか思ったんです。 でも冷静になってみると、標準語のイントーネーションで「あり↑がとう」というのと、関西流に「ありがとー↑」と言うのではなんか、受ける印象が違うような気はしてきました。私も東
私自身はかなりよく 「ありがとう」 という方なので、Yahoo 知恵袋の "店員に 「ありがとう」 と言う人が大嫌い。おかしいのでしょうか" というスレッドには、一瞬くらっと来た。 私がくらっと来ただけでなく、この質問に対しては、あちこちで攻撃の炎とまで行かなくても、疑問の声が上がっているようなのだ。 ごく単純に考えれば、感謝の意を示すことになんの問題もない。客と店員との間に、感謝の意のキャッチボールがあっても、全然おかしくない。逆に、感謝の意を表されることに、なんでまたそんなにねじくれた感慨をもつ必要があるのかということになる。 しかし、もう少しつっこんで考えてみると、日本語の微妙な 「あや」 という問題に突き当たる。日本語というのは、なまじニュアンスが豊富すぎるが故に、なんでもかんでも 「ありがとう」 で済ませれられるといわけにもいかないところが、確かにあるのだ。 その点、英語は単純で
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