ブックマーク / cruel.org (3)

  • CUT 1996.02 Book Review まだ見えない「平坦な戦場」としての日常:または、岡崎京子許すまじ。

    ふられて安定しない。だから読む聞く音楽見る映画喰うべ物飲む酒なんでも、全然起伏がないか、変に過敏に迫ってくるかなので、今はいろんな印象をかなり割り引く必要はあるけど、それにしても岡崎京子は許しがたいと思う。 『リバーズ・エッジ』(宝島社)みたいな代物を描いてしまうやつは許せないと思う。 なんだ、これは。この異様な構成力。さりげない物を介したショットのつなぎ。ゴダールみたいなフレーズの挿入。テーマの深み。なんだ、これは。セイタカアワダチソウの生い茂る、おれの多摩川の河原みたいな川っぷち。そこで棒で殴り殺したネコ。川崎側の対岸下流に見えた、石油化学工場のガス抜き炎と煙。流れ込むどぶ川の淀み。昔住んでた砧の団地。なんだこれは。自分の風景と共鳴するこの感じ。向こうで起こってる話を外から観ている感じじゃない。まるっきしの映画。この、目玉のまわりにページが巻き付く感じ。なんなんだ。 今の精神状態の

    Wakarimo
    Wakarimo 2009/09/01
    『リバーズ・エッジ』はいちいち説得力を持って迫る。この風景、この世界、この愛(の不在/存在)。この確信。平坦な戦場でぼくらが生き延びるための。
  • CUT 1991.06 Book Review

    ブランド神話の両端で:村上龍と井上章一 (『CUT』1991.06) 山形浩生 「の雑誌」を除き、現在の書評のほとんどは単なる人気投票みたいなものでしかない。どう評価されたかより、何カ所で取り上げられたかだけが問題にされる。むろんその背景には、おもしろい書評がほとんどないために、みんな書評欄に出てる表紙の写真だけサッとながめて済ませるようになってしまった、というのがあるのだろう。それと、出ているがどこでも似たりよったりだ、という点。「薔薇の名前」の書評をわれわれはいくつ目にしたことか。どこでも新刊の話題作しか扱わないし、ジャンルもほとんど固定化してしまっている。 ぼくが今回「コックサッカーブルース」を取り上げたくない理由も、そこにある。新刊だし、それなりに話題作だし、いかにもこの種のトレンド雑誌が取り上げそうなだし、何を言っても人気投票の一票にしかならないだろうから。しかし、名前をだ

    Wakarimo
    Wakarimo 2009/09/01
    井上の仕事は一言で集約できる。見栄の研究。知識人たちに対し「おまえらみんな受け売りだ」とけなし、そのうえで「お前らの言うことなんて、実は誰も聞いちゃいないぜ」とバカにするという二重の嫌がらせ。
  • CUT 1994.10 Book Review

    『十三の物語と十三の墓碑銘』。 (『CUT』1994 年 10 月) 山形浩生 拳銃を撃ったことがあるだろうか。拳銃は妙に抽象的な武器だ。引き金を引く、銃声がひびく、手元に反動がくる。そしてふと見ると、向こうの的に穴があいている。剣道や、その他格闘技なら、技が決まるたびに確実な手ごたえがくる。弓道やアーチェリーなら、少なくとも結果として的にささった矢が見える。だが、拳銃にはそれすらない。弾が的に当たっても、何のフィードバックもない。さっきの銃声や手元の反動と、向こうの的の穴とは、頭で考えないと結びつかないのだ。 もちろん二、三百発撃つうちに、いちいち考えなくとも引き金と向こうの穴とは自然に結びつくようになる。が、それまでは、五十発くらいで引き金を引く指が動かなくなるたびに、手の中の拳銃を見つめて考えこむことになる。ああやって的に穴があいたように、あっさり人にも風穴が開いてしまうのか。素人が

    Wakarimo
    Wakarimo 2009/09/01
    わかるようでわからないものへの戸惑いと、そうした存在に対する愛おしさ。手が届きそうで、でも決して届かない土地や人々への愛憎半ばする不思議な執着。あなたはこの感触を知っている。
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