さて、見つけてしまったので、「倫理の一貫性」(@extra innings)という記事について反論しておく。チベット問題を語っているときに、パレスチナはどうなのだ、アイヌはどうなのだ、という論点をぶつけられたとして、それをどう理解するか、という問題。「排外主義者、あるいは日曜サヨク」の続き。 iteau氏の二つの記事について ↑でid:kurotokage氏が提示したリンク先の記事を書いた人がそもそも倫理の一貫性を行動として示してきたか非常に疑問があるのだが、id:kurotokage氏が仮に倫理の一貫性を問うのだとすれば、その対象の取捨選択は恣意的ではあってはならないはずである。 言うまでもなく、それらは同様に抑圧と侵害の問題系なのであり、「すべてが問題である」と述べるのは当たり前のことである。ただし、人の使える時間は無限ではないから、一人で何もかもについて発言し、行動しつづけることは無