ブックマーク / masayukilab.hatenablog.jp (2)

  • あの頃の僕らが笑って軽蔑した神経痛 - まさゆき研究所

    僕の父親は晩年、中程度のアルコール依存に陥り、家族はそれに悩まされてきたのだが、そもそものかけ違いは「神経痛」だったように記憶している。 定年後はバス旅行や山歩きに行きたいな、などと話していた父だったのだが、定年早々どっちかの足の神経痛を患ってしまい、外出が億劫になってアルコール依存傾向を強めてしまったのである。 僕はまだ20代で神経痛などなったことも無く、全然共感できなかったので、「あんなにやりたいって言ってたのに酒ばかりになっちゃうわけ?」と失望の気持ちばかりを父親に持ったものだった。 さて僕のことであるが、2022年の後半は神経痛&関節痛との闘いであったと言っても過言ではない。 2月から痛みだしていたのだが、秋以降は頚椎ヘルニアで右腕が痺れ、テニス肘で右肘が痛み、右腕が完全に使い物にならなくなった。(コピー用紙の束も持てないレベル) しかも、どちらもサイクリング&ベンチプレスと、健康

    あの頃の僕らが笑って軽蔑した神経痛 - まさゆき研究所
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    WildWideWeb 2023/02/06
    「いつか君も分かる日が来るよ」が分かってもらえた時はもう遅いし、「そうでした? 私、自分自身で気づいたんですけど」になるのが世の常。自分の振り返りなんてそうそうできるものではない。できる人は偉い。
  • 山田が死んで、もう4年になるのだな - まさゆき研究所

    この時期になると亡くなったあの人を思い出す、というのは誰しもあると思うが、僕にとって正月という季節は、4年前に亡くなった山田のことを思い出す季節だ。 山田祐資(やまだ・ゆうすけ)は大学の1つ下の後輩、2019年1月6日に難治性のがんが寛解せずに38歳でこの世を去った。常にシニカルでコミカルで酔狂を気取る彼は、彼らしいスタイルを保ったまま、自分の死生をしっかり見つめながらこの世を去っていった。 2017年4月18日 NHK EテレハートネットTV「がんと共に歩む力を」より その飄々とした姿は全くもって「山田らしく」、不自然なところは無いかのように僕の目に映っていたのだが、あれから4年経ち、一つの言葉をきっかけとして彼の胸中にまた思いを巡らせている。 『“がん”になったと言うと、哀れみの目で見られる』 これは、別のがん患者の方がこの記事で語っていた言葉だ。 がんになっても... | 生き方 |

    山田が死んで、もう4年になるのだな - まさゆき研究所
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    WildWideWeb 2023/01/03
    こちらに残る側も問われてると思う。末期がんであることを告げたところ、担当編集者の態度が死にゆく者への恐怖をたたえたよそよそしさに変わって不快だった(意訳)との、ある作家の話を時々思い出す。
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