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議論に関するWindymeltのブックマーク (3)

  • マツダ先生(仮名)の思い出、あるいは議論の仕方を習ったことのない人はやっかいだということ - みやきち日記

    あたしが小学5〜6年生だったときの担任・マツダ先生(仮名)は、クラスで話し合うとき生徒にたったひとつのルールを課しました。そのルールとは、「意見を言うときは、必ず理由を言わなければならない」というもの。これは鉄の掟で、例外は許されませんでした。今にして思うとこれはすばらしい教育で、あたしはマツダ先生にものすごく感謝しています。 このルール下だと、「今度クラスのレクリエーション時間でどんなスポーツをやるか」なんて議題で話し合うとき、ただ各自で 「バスケがいいでーす」 「ソフトボールがいいでーす」 「ドッジボールがしたいでーす」みたいに提案だけしていきなり採決ってのはダメなわけ。提案するには、絶対に「なぜ自分はクラスでこのスポーツをやるのがいいと思うのか」を言わなきゃいけないんです。 そうなってくると、「自分がバスケが好きだから」クラス全体でバスケをするべきだなんて言えないわけですよ。いくら小

    マツダ先生(仮名)の思い出、あるいは議論の仕方を習ったことのない人はやっかいだということ - みやきち日記
    Windymelt
    Windymelt 2014/09/23
    なるほど考えて見たこともなかったけれど、こういったところに日本特有の問題の解決の鍵があるのではないか。
  • 「責難は成事にあらず」の解釈について - 玄文講

    「責難は成事にあらず」と私は以前に書いた。 これを「対案を出せない意見に価値はない」という教訓だと思った人がいたようだ。 ああ、やっぱり、そんなふうに解釈されてしまった。 当に言いたいことは相手に一度で伝わるものではないのだと思った。 私の言葉が足りないのがいけなかったのだが、饒舌すぎても聞く方はうんざるするだけなので難しいところである。 まず、最初に強調すべきことは、対案なんて必ずしも出す必要はないということである。 時おり議論において 「そんなに自分の意見に反対するなら対案を出せ!」 と主張し、それで対案が出せないなら俺の勝ちだみたいにふんぞりかえる人がいる。 彼らは物事の立証責任がどちらにあるかについて悩まない人たちである。 簡単に言えば、こちらが考えてやる必要のないことまで考えろと要求してくるのである。 相手が間違っているのならば、それを指摘してやるだけでいい。必ずしも自分が正解

    「責難は成事にあらず」の解釈について - 玄文講
  • 翔ソフトウェア (Sho's) 議論のアンチパターン 〜不毛な議論を避けるために〜

    『議論パターン』 (Discussion Patterns) ~不毛な議論を避け、実り有る議論とするために~ はじめに     ~「パターン」について~ ソフトウェア開発では、よく「パターン」という言葉が使用される。 「定石(じょうせき)」のような意味である。こうすればうまく行く、という問題解決の典型的な例をカタログ形式で収集し、纏(まと)めたものである。 「デザイン (設計) パターン」、「アーキテクチャ (構造) パターン」、「アナリシス (分析) パターン」等の種類が有り、総称して「ソフトウェア パターン」等と呼ばれる。 「アンチパターン」という言葉もある。こちらは逆に、こうしたらうまく行かない、という典型的な例を集めたものである。 「パターン」という概念は別にソフトウェア開発に特化したものではない。「ソフトウェア パターン」自体、元々建築の方に有った方法を持って来たものである。様々

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