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2013年5月3日のブックマーク (1件)

  • 「責難は成事にあらず」の解釈について - 玄文講

    「責難は成事にあらず」と私は以前に書いた。 これを「対案を出せない意見に価値はない」という教訓だと思った人がいたようだ。 ああ、やっぱり、そんなふうに解釈されてしまった。 当に言いたいことは相手に一度で伝わるものではないのだと思った。 私の言葉が足りないのがいけなかったのだが、饒舌すぎても聞く方はうんざるするだけなので難しいところである。 まず、最初に強調すべきことは、対案なんて必ずしも出す必要はないということである。 時おり議論において 「そんなに自分の意見に反対するなら対案を出せ!」 と主張し、それで対案が出せないなら俺の勝ちだみたいにふんぞりかえる人がいる。 彼らは物事の立証責任がどちらにあるかについて悩まない人たちである。 簡単に言えば、こちらが考えてやる必要のないことまで考えろと要求してくるのである。 相手が間違っているのならば、それを指摘してやるだけでいい。必ずしも自分が正解

    「責難は成事にあらず」の解釈について - 玄文講