今の美人林の風景 今こそ観光のため整備されていますが、 40年前にはショートボデーの2トントラックがやっと通れるくらいの道で、原木 を積んで 走ると重みでひっくり返るような道でした。 私が木材業の道に入って初めて、仕事をさせてもらった松之山町の松口と 言う部落 の一番奥にあります。 人間で言うと、このブナも45年も経つと当時の少女の美人から中年期の本当 の美人に 成長したように思います。 話は変わりますが、この美人林 という言葉を初めて口に出し、名付け親とも 言える人物、 実は当、竹島屋材木店の先代である 小林亥作 なのです。 現役であれば、今年99歳ですが73歳で他界しました。 69歳になる私も当時は、18 19の若造でした。 先代や若いしょ(従業員)に連れられ桐の木を肩でかつぎ出したり、冬は杉 の原木を 機械ソリという大きな組み立て式のソリで運びだしたり、ソリの通り 道の地主さんに