ナショナリズムと文化政策に関するYOWのブックマーク (21)

  • 天皇陵の近代「超越性」のランドスケープ 〜みささぎの森での「めまいズーム」効果、借景式整備、近代の陵墓美観政策について - 蠅の女王

    今回は伝応神天皇陵(誉田山古墳)を題材に、近代からのこの指定天皇陵の「美観の設計」について考えてみた。そこから、美観・景観における、「自然」に対する人為についても少し調べていくことになった。 さらに「陵墓の近代史」となると、幕末にあった「文久の修陵」事業のこと、またそれに影響与えた水戸の「尊皇派」についても知っていくことになるのだが、存外にこれらは、著作でもWEBでも取り上げが少ないようなので、ここで最後の章にて書き出しておくことにした。 記事は以下の4つのパートに分けて書いた。 【1】 伝応神天皇陵の概観と紹介    【2】 超越性のランドスケープ ―めまいズーム(ドリー・ズーム)が生じる条件―    【3】 超越性のランドスケープ ―借景式の手法―    【4】 みささぎの森の近代化へ ―幕末「文久の修陵」、明治以降の「美観」― 文久年間以前の様子 文久修陵でかかった費用について 近代

    天皇陵の近代「超越性」のランドスケープ 〜みささぎの森での「めまいズーム」効果、借景式整備、近代の陵墓美観政策について - 蠅の女王
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    YOW 2008/07/22
    考古学の問題ではなくて、あくまでも陵墓の「近代」のことを。明治の風致政策など。
  • 31_2.pdf

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    YOW 2008/07/16
    小椋純一氏 >鎮守の森は古くから保護され、原植生を残していると考えられているが、1970年代の滋賀県での調査結果をみると、必ずしもそうではなく、意識的に鎮守の森の保護が始まったのは明治時代だろうと思われる
  • 2.pdf

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    YOW 2008/07/16
    京都精華大学・小椋純一氏 >陵墓、鎮守の森に注目。継続して存在するので資料が多く追跡し易い。近代以降の「風致策」で、樹の植生の景観が、アカマツ林から常緑広葉樹へと好みが変化し、植林されてきた。
  • Amazon.co.jp: 「陵墓」からみた日本史: 日本史研究会, 京都民科歴史部会: 本

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    YOW 2008/06/09
    「文久の陵墓修築」について詳しく書かれてる本。文久の百年前、元禄で既に水戸藩の幕府への「修陵交渉」が度々あり、農地地上げ等されていってたらしい。/p.189〜『幕末尊王論の形成 -水戸藩の修陵建議をめぐって』
  • 北花内大塚古墳

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    YOW 2008/06/07
    >文久2年〜慶応元年(1862〜1865)全国での「文久の修陵」と呼ばれる事業で、天皇陵あるいは陵墓参考地とされている古墳の多くは、このとき形を大きく変えられたとされている。
  • 文久の改革 - Wikipedia

    文久の改革(ぶんきゅうのかいかく)は、文久2年(1862年)に江戸幕府で行われた一連の人事・職制・諸制度の改革を指す。嘉永7年(1854年)の開国以来の混沌とした政治情勢を受けて、半ば非常時の体制へ移行したものであるが、その主導者は幕府自身(幕閣)ではなく、薩摩藩主の父・島津久光および朝廷の公武合体派公卿らの主導で出された勅使による圧力の下、やむを得ず改革を行ったものである。 経緯[編集] 幕政改革は、鎖国体制から開国への移行に伴う尊王攘夷運動の激化、将軍継嗣問題を巡る一橋派と南紀派の対立などの政治的混乱の中で、薩摩藩主・島津斉彬や越前藩主・松平慶永(春嶽)ら、開明的な大名らの間ではつとに必要性を叫ばれていた。しかし、斉彬の急死および大老・井伊直弼による安政の大獄における改革派の弾圧などにより頓挫していた。 斉彬の死後、藩主となった実子の島津茂久を補佐する国父の立場となった島津久光は、兄・

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    YOW 2008/06/07
    文久年間は1861〜64年。 この頃西欧もパリ大改造計画や「自然公園指定化」の動きがあった。>公武合体派公卿らに主導されて出された勅使による圧力の下、やむを得ず改革を迫られたというのが実情
  • 「天皇陵」発掘調査要求運動の現段階とその意義について 藤田友治

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    YOW 2008/06/07
    >幕末期の急激な尊王嬢夷の風潮に対して、幕府は全国的な「文久の陵墓修築」を行なった。明治には、天皇陵を国民の前に「リアル」に現出させる為に「史蹟名勝天然記念物保存法」施行と併せ、陵墓測量を開始した。
  • LANDSCAPE PAPER

    ランドスケープの倫理学* (一) 安彦一恵 ....琵琶湖畔で、ヤシの木の植樹をめぐって景観論争が起きている。 「ちょっと不自然」学者ら 「南国風でステキ」若者 『朝日新聞』1992年6月27日(夕刊) 京都の景観保存について 片方は、そんなことをしたら京都は経済的に死んでしまう、だから開発は当然やないか と言う。片方は、いや世界の歴史的遺産を守るのは当然だと言う。(堀場雅夫) 野田浩資「京都という病」『都市研究・京都』no.5.1992 から引用 飲料水不足に悩むサンフランシスコのために、ヘッチヘッチー渓谷にダムを造るか否かをめぐって Muir,J. (保存主義):反対 「人間にはパンと同じように美が必要だ」 Pinchot,G.(保全主義):賛成 「サンフランシスコの子どもたちを救う方が先だ」 岡島成行『アメリカの環境保護運動』岩波新書1990 から引用 稿は、

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    YOW 2008/06/07
    >疑似アウラが疑似アウラとしてではなくそれ自身一個の独立した範疇へ。→キッチュ:近代以前の美が空間的に美ならざるものに取り囲まれてたのに対し、近代は全体的な美を現出→やがて美の時間的全体化出来なくなる
  • 川添登とメタボリズム - 中谷礼仁『国学・明治・建築家』2007 WEB公開

    メタボリズムは60年代を象徴する建築運動として知られている。しかしその史的定義は未だ確実にはなされていない。建築史家布野修司*1によれば、メタボリズムは、評論家川添登が中心となり1960年、東京において開催された「世界デザイン会議」を契機として組織されたプレゼンテーション・グループである。 『メタボリズム』とは、来るべき社会の姿を、具体的に提案するグループの名称である。 機関誌『メタボリズム』第1号 その中心メンバーには川添の他、建築家菊竹清訓、槙文彦、黒川紀章、大高正人、グラフィックデザイナーの粟津潔等がいた。メタボリズム=新陳代謝の名の通り、彼らの活動は流動的であり、各自の方法論も多様である。一つの視点だけでメタボリズム・グループを総括することは、その可能性をもついばみとってしまうだろう。僕はここで特に川添の言説だけに焦点を絞って、その一側面をスケッチしてみることにしたい。 思えば日

    川添登とメタボリズム - 中谷礼仁『国学・明治・建築家』2007 WEB公開
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    YOW 2007/11/30
    >「無秩序の美学」の『自然さ』⇒新陳代謝し、成長してゆく都市に対処してゆく建築方法論の必然性を鼓舞する時、(それまでの、モダンへの)ニヒリズムがメタボリズム思想の根幹に抵触した筈である。
  • 20世紀メディア研究所

    3月の研究会のご案内です。 今回の研究会も早稲田キャンパスの教室において対面で行う予定です。 研究会には、どなたでもご参加頂けます。 参加費は無料です。事前の申し込みも必要ありません。 皆さまのご来会をお待ちしております。 なお、オンラインでの配信も並行するハイフレックス形式で実施します。 オンラインでの参加を希望される方は、事前の申し込みをして頂く必要があります。詳しくは、下記の申し込み方法をご参照下さい。 ◇ 20世紀メディア研究所:第174回研究会 ・ 日時:3月30日(土曜日)午後2時30分~午後5時00分 ・ 場所:早稲田大学 早稲田キャンパス 3号館709教室 ◇ 発表者・テーマ (1)鈴木優作(鹿児島大学法文学部附属「鹿児島の近現代」教育研究センター) 「地方文芸雑誌『カンナ』にみる昭和三〇年代の鹿児島」 (2) 奥武則(法政大学名誉教授) 「『報道される天皇』の誕生――明治

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    YOW 2007/10/23
    「GHQ検閲下で出版された雑誌」のデータベースを制作、公開。閲覧には登録してログインが必要みたい。>「日本経済」「主婦之友」「キネマ旬報」「競馬タイムス」など一般誌の他、労働組合の機関紙なども。
  • ひどいぞ、外国人向け英語バスガイド - Aquarian's Memorandum

    米国からの客、ヒルデガードに、東京を見てもらおうとバスツアーに参加した。東京には丸2日しか滞在できない。能率よく、ざっと東京を見るために、英語ガイドによるバスツアーを選んだ。それが最悪だった。何ともひどいガイドだったのだ。どれほどだったか、エピソードからはじめよう。一日コースの後半、水上ボートで浅草に行くことになっていた。そのころ、40人を超える外国人観光客は、このガイドに、あきれ果てていた。日の出桟橋でボートを待つ間、オーストラリアから来て、グループでこのツアーに参加した人々が、私や連れのヒルダにこう話しかけてきた。「あのガイドの話を聞くのは、もううんざり。みんなで彼をボートから海に投げ込みましょうよ、と話しているの。ほら、彼、ガイドの目印として鯉のぼりの小旗をもっているでしょう。投げ込まれた彼が海にゆっくり沈んでいき、あの旗先のお魚が海の中でくるくると泳ぐくところを見たいわ」。みんなが

    ひどいぞ、外国人向け英語バスガイド - Aquarian's Memorandum
    YOW
    YOW 2007/10/11
    そうか検定ブームの昨今なわけで。外国語はヘタッピで良いから、歴史文脈とか芸術に愛を持ってないガイドなのがヤヴァイのでは。よーしオラがガイドしてやる!/件のガイドの人はある種マニアかも。
  • 全近ホームページ (全国近代化遺産活用連絡協議会)

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    YOW 2007/10/05
    近代化遺産に係る文化財保護/都道府県別の物件・画像のリストは、埋まってない県もあり未だ途上みたい。橋やダム、水塔、病院、駅舎、工場、etc.
  • ジャクソンポロックについて語りませんか?

    YOW
    YOW 2007/08/02
    冷戦下米の対東文化政策の件で >>366『抽象表現主義研究で「修正主義」言われるのは』:グリーンバーグ
  • 『写真週報』 にみる昭和の世相

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    YOW 2007/04/11
    >アジア歴史資料センターが提供している歴史資料。『写真週報』は、内閣情報部(のち内閣情報局)により刊行されていた週刊のグラフ雑誌で、1938年創刊、1945年7月終刊。
  • ★ ナショナリズムと国語学 安田 敏朗 『「国語」の近代史―帝国日本と国語学者たち』 中公新書 (新刊) - 書評日記 パペッティア通信 - 楽天ブログ(Blog)

    Feb 19, 2007 ★ 安田 敏朗 『「国語」の近代史―帝国日と国語学者たち』 中公新書 (新刊) (1) テーマ:社会関係の書籍のレビュー(95) カテゴリ:社会 ▼   最近、忙しくて、読んだの紹介がなかなかできない。 基的にバカバカしいは、採りあげないことにしているんだけど、それでもがたまる一方なので困ってしまう。 所詮は、の備忘録ブログ。 気を取り直して、面白い順、タメになった順番で、じんわりと紹介することにしよう。 ▼   最近、面白かったのは、コレ。 国民国家の統治システム(「配電システム」by ベネディクト・アンダーソン)のインフラであった、「国語」の機能及び問題を描きだし、批判的に暴いていく。 国家的課題に答えようとした、国語学者たちの歩みを追うことで、ナショナリズムとしての「国語」を描き出そうとするのだ。 ▼   みんなも分かってるとおもうけど、「話し言

    ★ ナショナリズムと国語学 安田 敏朗 『「国語」の近代史―帝国日本と国語学者たち』 中公新書 (新刊) - 書評日記 パペッティア通信 - 楽天ブログ(Blog)
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    YOW 2007/02/25
    へー。日清戦争後の時にすでに。>官主導で「話し言葉」に即した仮名遣いを決めたものの、「歴史」の強調と「現実的要請(=空間的同一性?)」のハザマに引き裂かれ、1年で元に戻されたこともあったようだ。
  • 竹内一郎『手塚治虫=ストーリーマンガの起源』 - 紙屋研究所

    竹内一郎『手塚治虫=ストーリーマンガの起源』 ※このテーマをはじめて読む人には少し分かりにくい、という評をいただいたので、ちょっと改稿。 『人は見た目が9割』の著者。 最近、まったく漫画には縁がなさそうな同僚(別の部署の上司)に『人は見た目が9割』をすすめられていたのだが、こんな「つながり」で再びこの著者と邂逅するとは思わなんだ。 著者は大学で教えながら現在は漫画原作などの著述業をしている。 「日初の漫画評論」? それにしても、このはすごい。すごすぎる。 いや、中身がすごいというより、なにせ「日初の漫画評論!」とオビに銘打っているのだから。はじめ「著者初の」かと見間違えたのかと思ったけど、何度眼をこすりをひっぱたいたりしてみても「日初の」と書いてある。 「はじめに」に、こうある。 「私には、マンガ研究家によるマンガ論が物足りなかった。マンガしか知らない人が多いのである。学

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    YOW 2006/11/16
    「漫画(評論)を国策の枠に組み入れよう」:ex漫画アニメ「鳥獣戯画起源説」(この図式で『絵巻展』も客動員に大成功した)←外国視線からの「日本文化」論/“手塚が日本に生まれたのは必然である”<相対性理論か
  • 学問のアルケオロジー

    万国博覧会と列品される「日」 文久2(1862)年、危機のなかで存続の道を探っていた徳川幕府は、江戸、大坂、兵庫、新潟の開市・開港の延期をヨーロッパ諸国に認めさせるため、竹内下野守保徳を正使とする総勢38人の使節団をヨーロッパに派遣した。福沢諭吉、松木弘安、福地源一郎などを含むこのいわゆる竹内遣欧使節団が、品川沖に停泊していたイギリス軍艦オージン号に乗り込んだのは1862年1月のことである。船は、香港、シンガポール、セイロン島、紅海、マルタ島を経由して4月初めにはマルセイユに上陸した。そして一行は、しばらくパリに滞在した後、4月30日、ドーバー海峡を渡ってロンドンに到着する[1]。 ところが、まさにこの翌日の5月1日から2回目のロンドン万博が華々しく開幕するのである。さっそく一行は開会式に臨席するが、これがロンドン市民の大変な注目を集めることになる。3日の『ロンドン画報』は、この開

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    YOW 2006/11/15
    幕末〜明治の日本の万国博参加 >シカゴ万博での政治的な企図:不平等条約改正の為、日本は中国とは異質であり、むしろ文化的伝統としては西洋に通じる事を示そうとした→佐野常民「博覧会とは『眼目の教』の空間」
  • http://72.14.203.104/search?q=cache:yk1Pcpdz8nYJ:wwwsoc.nii.ac.jp/jahs2/pdf-files/06-4-21-youbousho.pdf+%E5%8D%9A%E7%89%A9%E9%A4%A8%E3%80%80%E7%8B%AC%E7%AB%8B%E8%A1%8C%E6%94%BF&hl=ja&gl=jp&ct=clnk&cd=95

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    YOW 2006/11/02
    国立ミュージアム独立行政法人化への異見書>基礎研究が蔑ろに/「展示事業の重点化」という美名の下に研究の範囲を著しく制限 <集客率良いだけの欧州からの賃借美術館展に偏りそう。「美しい国」が聞いて笑かす
  • 指定管理者制度って、どうなの?: 国立博物館・美術館 合理化に揺れる

    YOW
    YOW 2006/11/02
    文化DQNに法弄られるのは恐ろしい>05年独立行政法人の見直しに取り組む総務省「政策評価・独立行政法人評価委員会」は文化施設の合理化を打ち出した>文化財への理解低さの表れ。内容より動員重視の展覧会増やすだけ
  • 見物人の論理: 早実の斎藤はなぜ4連投しなければならないのか。

    勲氏「とにかく一茂が大バカ。あれだけの人(長嶋茂雄氏)をどうして他人が面倒を見てるのか」 (【2chまとめ】ニュース速報嫌儲版) 「アマレス」より『野球』です。 (mingoh's観戦レポート) 都市対抗野球に明日はあるのか (三井健聖の野球生活) さらば落合博満。 (観測所雑記帳) 2010年W杯南ア大会 - 金子逹仁03 (観測所雑記帳) 2010年W杯南ア大会 - 金子逹仁02 (観測所雑記帳) 2010年W杯南ア大会 - 金子逹仁01 (観測所雑記帳) [野球]2009/11/07 プロ野球〜原巨人が日シリーズ優勝 (昨日の風はどんなのだっけ?) 【野球】巨人が7年ぶり日一! 原監督の「維新」成就 (しなぷす) [2009/11/04]川崎フロンターレと、ガンダムとのつながりは? ほか 日のサッカーネタまとめ (footballnetサッカーニュースの2ちゃんねるまとめ

    見物人の論理: 早実の斎藤はなぜ4連投しなければならないのか。
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    YOW 2006/08/23
    高校生の身体より費用の節約が切実に優先されるというのが。>いまいましいのは、素人目にもこれほどはっきりと異常な大会が毎年繰り替えされているにも関わらず、それを指摘する声がほとんど上がらないこと