1. はじめに デイヴィドソンが1960年代に行為の因果説を復活させて以来、行為論の主流は行為の因果説となった、という話は今はむかし。現在ではむしろ、理由による行為の説明は因果的説明ではありえない、とする解釈主義的反因果説が認知科学におけるコネクショニズムの台頭と手をたずさえて(?)再び(??)行為論の本流となったかのように思われる。しかし事態はそう単純だろうか。そこで、私の立場と本稿の展開をあらかじめ明らかにしておこう。私は、行為という存在者にコミットする限り信念や欲求という命題的態度の存在にコミットせざるをえないと考えるが、さらに、命題的態度の存在の因果的働きが行為を産出する、と主張する点で行為の因果説に荷担する。しかし同時に、命題的態度の帰属原理はもっぱら合理性だということを承認する点では、私は行為の反因果説にも荷担する。要点は、われわれが自分たちの行為概念に忠実である限り、この