ブックマーク / web.kanazawa-u.ac.jp/~philos (3)

  • zombi.htm

    ゾンビは論理的可能性ですらないか? ------チャルマーズに対するpros and cons------                                      柴田正良(金沢大学)  チャルマーズの性質二元論は、物理主義に対立するテーゼとして提出されている。通常、科学者(とくに物理学者?)は、よほど問いつめられた場合以外には物理主義者とはならないだろうと思われる。確信犯的な(?)実体二元論者を除くと、彼らがおしなべて存在論に無頓着であるのは、想像のかなたの可能世界で何が起きようとも自分の目下の研究に差し迫った影響はない、という理由からであろうか。しかし、われわれ哲学者でも、物理主義のギリギリのラインがどこに引かれるべきかに関しては完全な一致に達しているわけではない。その意味でチャルマーズの物理主義反駁は、どこまでが物理主義の主張なのかということの自覚をわれわれに

    YOW
    YOW 2007/02/07
    >チャルマーズ「ゾンビ世界が概念的可能なら意識経験の事実は物理的事実に論理的にスーパーヴィーンしない」への反論:物理主義が主張したいのは、物理的事実に対する事実の法則的依存性で、論理的依存性ではない
  • 「浅い指示」論

    弱められた指示概念は意味の文脈依存性をうまく捉えられるか? -----伊藤「浅い」指示論の評価に向けて----(柴田正良) 1. 浅い指示論(theory of shallow reference:TSR)の動機 稿は、言語における文脈依存性の問題を「浅い指示」という独自の概念装置によって一貫してねばり強く追求してきた伊藤春樹の指示論(TSR)に、現段階で批判的な検討を加えようとするものである。この文脈依存性の問題は伊藤によれば指示ばかりではなく記述や比喩といった現象にも出現するが、それをてっとり早く理解するには、このところ心の哲学でずっと話題に登ってきた信念報告文の例を見るのが最善であろう。例えば、 (1) オイディプスは、イオカステこそ自分にふさわしいだと信じていた しかしもちろんオイディプスの悲劇は、彼には分からなかったことなのだが、イオカステが自分の母親だったことである。

  • shibata-act

    1.  はじめに デイヴィドソンが1960年代に行為の因果説を復活させて以来、行為論の主流は行為の因果説となった、という話は今はむかし。現在ではむしろ、理由による行為の説明は因果的説明ではありえない、とする解釈主義的反因果説が認知科学におけるコネクショニズムの台頭と手をたずさえて(?)再び(??)行為論の流となったかのように思われる。しかし事態はそう単純だろうか。そこで、私の立場と稿の展開をあらかじめ明らかにしておこう。私は、行為という存在者にコミットする限り信念や欲求という命題的態度の存在にコミットせざるをえないと考えるが、さらに、命題的態度の存在の因果的働きが行為を産出する、と主張する点で行為の因果説に荷担する。しかし同時に、命題的態度の帰属原理はもっぱら合理性だということを承認する点では、私は行為の反因果説にも荷担する。要点は、われわれが自分たちの行為概念に忠実である限り、この

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