2007年11月24日のブックマーク (2件)

  • 坂のある非風景 欠如は喪失と対立する-twitter覚書

    Author: M ペンを折ることさえ、ここではもう「別の手段による詩の継続」を意味しているにすぎないという宿命に、それからも耐え続けた。 freezingm▽gmail.com まだブログにはクラブ活動的なコミュニティが残存していた。サッカーが好きな人がサッカー部にはいるように、サッカーについて語ることが好きな人たちがサッカーについて語り合う場が(その両者はまったく異なるものだ)ホームとしてあった。ところがtwitterは違った。そういうコミューンを解体するコミューンというものを感じさせられた。 twitterにおける目的の欠如についてちょっとやりとりがあった。 freezing: ネットの文は、発話体ですね。会話の文。それはコミュニケーションの速度が要請したものだと思う。文学体で書く人は、疎外感をもって参加しているはず。 oo0oOO: @freezing 文学体で書く人は、疎外感。。

    YOW
    YOW 2007/11/24
    Twitterは参加目的的に書いてる。合う合わないは、服と音楽と画材…以外で考えないのよ。「無目的な生をそのままの形で集めてゆく世界」←漫画『未来日記』みたい、「目的」とはプロジェクトXでなければ生死の賭けへ!?
  • 「単なる」「私的な」「個人的見解」と修飾語を連ねても、批判は免れない - good2nd

    id:buyobuyo さんのとこでの id:E-You さんのコメント。題とは違う話なんですけど。 私とあなたの意見が合わないからといって、批判される筋合いはありません。 だって、あくまで私的な意見だもの。 もしそれがあなたを傷つけたのなら謝るけど、批判? いったい何様ですか? 批判は意見が合わないからこそするものです。 意見が合わなければ、それだけで批判するのに十分な理由になります。 私的だろうと何だろうと、あらゆる意見は批判に晒されるべきです。 しかし、短絡的な批判は時として誹謗や嘲笑になりさがるので、慎重さが必要とされるのは言うまでもありません。 「意見の相違に基づく批判」は、傷ついた傷つかないという「気分」の問題に劣るものではありません。 批判は、その内容が重要なのであって、批判すること自体には何の資格も必要ないはずです。 嫌ならスルーすればいいと思うよ(僕みたいに) あらゆる

    「単なる」「私的な」「個人的見解」と修飾語を連ねても、批判は免れない - good2nd
    YOW
    YOW 2007/11/24
    「個人の本音」なんか常に醜いものだ。そんなカミングアウトは誠実さとは違う。記事のメインテーマは「私は、批判あっても正面から向きあわない」表明かな?「批判は好きなだけすればいい」も政治では:b:id:YOW:20071102