たしかレヴィナスが「形而上学に倫理学が先行する」という趣旨の発言を何度かしていたと思うが、それはあまり正確ではない、あるいは今日風の言い回しとは違う、という気がしている。あえて言うならばそれは「形而上学と倫理学に神学が先行する」とでも言うべきなのではないか。もちろんここでいう「神学」とはキリスト教など特定宗教の教義学というわけではなく、今日風の学問区分なら哲学の中のそのまた形而上学ということになるのだろうけれど。 形而上学、この文脈では「存在論」と言い換えた方がよいのだろうけれど、レヴィナスが『全体性と無限』などで「形而上学(よく知られているように「全体性」はこちらに対応する)は倫理学(「無限」はこちらに対応する)に先立たれている」と主張することの含意は、いくつかの解釈を許容するだろうが、それ自体そうわかりにくくも突飛でもない。少し飛躍するがたとえば今日の宇宙論における「人間原理」をめぐる