2011年3月20日のブックマーク (2件)

  • 蠟山政道 - Wikipedia

    蠟山 政道(ろうやま まさみち、1895年11月21日 - 1980年5月15日)は、日政治学者・行政学者・政治家。お茶の水女子大学名誉教授。民主社会主義の提唱者であり[要出典]、行政学研究の先駆的存在である[要出典]。 新潟県刈羽郡鵜川村生まれ。群馬県高崎市で育つ。1913年3月に県立高崎中学校、1917年7月に第一高等学校を卒業し、東京帝国大学法学部政治学科に進学。在学中に吉野作造の影響を受け東大新人会に参加、政治学の研究を志す。特に雑誌『社会思想』の同人であった河合栄治郎[要出典]のすすめから、イギリス社会主義の研究をはじめ、その後の民主社会主義理論家としての素地を作る。 1920年7月大学を卒業と同時に法学部助手に採用、1922年同助教授を経て、1928年教授に任官。1927年からは新設された行政学講座を担当する。1939年4月に行なわれた東大経済学部の人事処分(平賀粛学)をめ

    蠟山政道 - Wikipedia
    YOW
    YOW 2011/03/20
    近衛のブレイン「民主社会主義の提唱者、行政学研究の先駆的存在」Wiki民主社会主義見ると、チリのアジェンデ大統領の名前が出てくる。はあーそうだったの。ドキュメント『戒厳令下チリ潜入記』は学生時代に観た。
  • 帷幄上奏 - Wikipedia

    帷幄上奏(いあくじょうそう、独: direkte Berichterstattung des Militärs bei Hofe、英: direct appeal to the Throne by the military)とは、君主制国家において、帷幄機関である軍部が軍事に関する事項を君主に対して上奏すること。帷幄とは来は「帷をめぐらせた場所」のことを指し、「帷幕」などと類義であるが、「帷幄」の語は義から転じて「大元帥ノ地位ニ於テノ天皇[1]」を意味するようになった。したがって、帷幄上奏は「(軍令事項についての)天皇への上奏」を意味する。元首への作戦事項の上奏権を統治に関する上奏権と別にすることはドイツ帝国(プロイセン王国)において初めて制度化され、その影響を受けた明治憲法下の日においても制度化された。 1883年5月20日にドイツ皇帝・プロイセン国王ヴィルヘルム1世の勅令でプロイ

    YOW
    YOW 2011/03/20
    「本来、国務大臣は憲法上、帝国議会に対してその責任を負うが、権力分立の外側にあった帷幄機関はその責任がなかった」