秀吉の移転命令による大雲院跡(四条寺町南) 京都・東山花灯路の期間中にライトアップされる祇園閣 天正15年(1587年)、織田信長とその子信忠の菩提を弔うために正親町天皇の勅命を受け、安土宗論で活躍した浄土宗の僧・貞安(じょうあん)が開山となって創建された。場所は信忠が自害した二条新御所の跡地(烏丸御池)で、大雲院という名は信忠の戒名から採られたものである。また、火除天満宮をその鎮守社とした。 しかし同年中に京都の改造を理由として、豊臣秀吉の命で四条寺町南(現・下京区貞安前之町)に移るように指示され、天正18年(1590年)に四条に移ったといわれる。この後、後陽成天皇の勅願所となっている。また、江戸時代には日向国佐土原藩主島津氏が檀越となった。 天明8年(1788年)1月の天明の大火、次いで元治元年(1864年)7月の禁門の変後に発生したどんどん焼けで焼失し、明治時代初期にようやく再建され