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ブックマーク / sports.yahoo.co.jp (16)

  • JリーグクラブにSlackを入れてみた 「IT活用でJクラブは変わる」第1回 - スポーツナビ

    こんにちは、えとみほ(江藤美帆)と申します。今年の3月末まで、東京・渋谷のスタートアップ企業でいわゆる「IT社長」をやっていました。いまは縁あって、5月からJリーグの栃木SCのフロントスタッフとして働いています。ちなみに出身は富山県なので、栃木県には縁もゆかりもありません。 そんな私がなぜ栃木SCで働くことになったのか。一言で言うと、弊社社長の橋大輔との出会いがあったからです。橋は現在42歳と、Jリーグ54クラブの社長の中でも若い部類に属し、とても柔軟な考えを持っていました。そんな橋が、最初の面接で開口一番、私に言ったのが「うちはデジタルが弱い」という言葉でした。 ただ、この「うちはデジタルが弱い」というセリフは、経営者の時候の挨拶(あいさつ)のようなもので、中小零細企業の社長の大半が自社をこのように評します。つまり、たいていの場合はとりたててその会社だけが遅れているわけではなく、ど

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  • ロナウジーニョと過ごした魔法の時間 サッカーは夢、喜びに満ちたキャリアに幕 - スポーツナビ

    彼のプレーにはいつも喜びが満ち溢れていた。 彼のプレーにはいつもサプライズが散りばめられていた。 ひとたび彼の足にボールが吸い寄せられると、次は何をやってくれるのか心は高鳴った。彼と同時代を過ごせたことを、われわれは神様に感謝しなければならない。 ロナウジーニョはFIFA(国際サッカー連盟)世界最優秀選手賞2回、2002年ワールドカップ(W杯)日韓大会優勝、UEFA(欧州サッカー連盟)チャンピオンズリーグ優勝、コパ・リベルタドーレス優勝を成し遂げた。人々は彼を「テクニシャン」「マジシャン」「サプライズ」「天才」「スーパースター」とたたえたが、彼に一番ふさわしい言葉は“アレグリア(喜び)”だった。 ボールと戯れる楽しさを彼ほど世界中のサッカーファンに届けてくれたプレーヤーはいない。いや、彼は届けようとして届けたのではない。ただただ、ボールと会話し、遊んでいたのだ。 ロナウジーニョ、すなわち「

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    YUKI14
    YUKI14 2018/01/22
  • 2000年 ネットメディア勃興期<前編> シリーズ 証言でつづる「Jリーグ25周年」 - スポーツナビ

    ゴールデンウイーク真っただ中の今年5月2日、ひとりの男の死をめぐる衝撃が日のスポーツ業界を駆け巡った。故人の名は広瀬一郎、享年61歳。最後の肩書は「スポーツ総合研究所株式会社所長」だが、「元電通」という方が通りはいいだろう。株式会社電通勤務時代(1980〜2000年)、広瀬はスポーツ、とりわけトヨタカップやワールドカップ(W杯)といった大会のプロデュースを数多く手掛けている。ただし広瀬が最も強みを発揮し、よくも悪くも話題となったのが、電通という枠を飛び出した時の壮大なチャレンジであった。 まず、電通からW杯招致委員会事務局に出向した時の02年W杯日招致活動(94〜96年)。次に、電通を退社した直後の株式会社スポーツ・ナビゲーション設立(00年)。そして最近では、出身地である静岡県の知事選にも立候補して話題になった(13年)。今にして思えば、そのいずれもが壮大かつ破天荒な挑戦であった。

    2000年 ネットメディア勃興期<前編> シリーズ 証言でつづる「Jリーグ25周年」 - スポーツナビ
  • 2006年 オシムがJに遺したもの<後編> シリーズ 証言でつづる「Jリーグ25周年」 - スポーツナビ

    オシムが代表監督に就任した時、千葉のGMを務めていた祖母井はグルノーブルへ行くことが決まっていた 【宇都宮徹壱】 日本代表監督イビチャ・オシムの通訳となった千田善。彼の来の肩書は「国際政治ジャーナリスト」である。ベオグラードでの語学留学経験があり、長年にわたり旧ユーゴスラビア紛争の取材も続けてきた、いわば旧ユーゴのエキスパート。一方で、自身もプレーヤー経験のあるフットボールファンでもあり、日本代表の国際試合では旧ユーゴ系の監督会見で通訳を務めることも少なくなかった。よって、かねてより親交があった私から見ても、千田が「オシムの通訳」という重責を担うことは、ごく自然な流れのように感じられたのだが──。 「オシムさんとは、(ジェフユナイテッド)千葉の監督時代にテレビ仕事でお会いしたことがありましたが、いざ通訳ということになると、やっぱり緊張しましたね。『よろしく』とは言っても、向こうはこちら

    2006年 オシムがJに遺したもの<後編> シリーズ 証言でつづる「Jリーグ25周年」 - スポーツナビ
  • 2006年 オシムがJに遺したもの<前編> シリーズ 証言でつづる「Jリーグ25周年」 - スポーツナビ

    「『オシム』って言っちゃった」事件から約1カ月後の2006年7月、オシムは日本代表の監督に就任した 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】 「そういえば、やり直したいことが、ひとつだけあったな……。『オシム』って言っちゃった、あの時だよ」 これまでの仕事の中で、もしやり直せることがあったならば、それはどんな瞬間ですか──そんな質問を川淵三郎にぶつけたことがある。今から10年前、彼がJFA(日サッカー協会)の会長だった時のことだ。インタビュー中は「これまでの決断で後悔していることはひとつもない」と答えていた川淵だったが、インタビューを終えて撤収作業をしていたときに、ふと上記の言葉を思い出したように漏らした。当時、ジェフユナイテッド千葉の監督だったイビチャ・オシムの名を、次期日本代表監督として「口を滑らせた」事件。それは、2006年6月24日、成田空港近くのホテルの会見場で起こった。 この年

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  • 日本のスポーツビジネスが遅れている理由 コンサル目線で考えるJリーグの真実(1) - スポーツナビ

    唐突だが、今の時代で最も誤解されている職業は何か? その問いに対し、私は迷わず「経営コンサルタント」と答える。経歴詐称が問題となった、某ニュース番組のコメンテーターが「経営コンサルタント」を名乗っていたこともあって、コンサルという職業そのものに怪しげなイメージが付着してしまったのは実に残念なことであった。というのも当連載を始めるにあたり、私はデロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社で働く公認会計士、コンサルの人たちにお話を伺う機会を重ねながら、彼らの優秀さと高いプロ意識に密かな感銘を覚えていたからだ。 デロイトトーマツグループといえば、世界的な会計事務所、経営コンサル企業の日におけるメンバーファームである。従業員はグループ全体で約9900人を数えるという。そのグループの1つ、デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社のメンバーが中心となって昨年、スポーツ

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  • ラウルとプジョルが歩んだ対照的な道 スペインの歴史に刻まれる2人の伝説 - スポーツナビ

    対照的なキャリアを歩んだラウル(左)とプジョル。スペインの象徴として刻んだ軌跡を振り返る 【Getty Images】 今夏、バルセロナの象徴カルレス・プジョル(36歳)とレアル・マドリーの象徴ラウル・ゴンサレス(37歳)の引退が重なったのは偶然だった。一方は右膝の傷で現役続行を断念せざるを得ず、もう一方はレアル・マドリーを経てシャルケ04、アル・サッドでやり残したことはないと決断した。プジョルはスポーツディレクター、アンドニ・スビサレッタのアシスタントとして、ラウルの方はコーチライセンス取得後に下部組織の監督として共にクラブに残るようだ。 スパイクを脱いだ時期も、愛するクラブでセカンドキャリアをスタートする点でも同じだが、2人は対照的な選手であり歩んだ道も大きく異なっていた。 「今季終了後にバルセロナを出て行く」 3月4日、目を赤くしたプジョルが、会長や主力選手の他、反会長派のヨハン・ク

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    YUKI14
    YUKI14 2014/08/25
  • 「誰もいないスタジアム」という衝撃 | コラム|サッカー|スポーツナビ

    キックオフ2時間前、浦和美園駅に到着。駅の構内はまるで平日のように閑散としていた。埼玉高速鉄道の線路沿いの道を歩きながら、埼玉スタジアム2002を目指す。途中、すれ違うのはサッカーとは縁遠そうな地元民ばかり。まるで日本代表の前日練習を取材にいくような気分だ。なるほど、これが無観客試合の雰囲気というものか。 およそ熱心な浦和ウォッチャーとは言えない私だが、今回の浦和レッズと清水エスパルスによる無観客試合については、しっかりこの目に焼き付けておきたいと思っていた。私がこの試合で確認したかったのは、ただひとつ。それは「無観客試合という制裁の妥当性」である。3月13日、Jリーグは「JAPANESE ONLY」という横断幕が人種差別であったと判断。横断幕を試合終了時まで撤去しなかった浦和に対し、けん責および国内初となる無観客試合という重い制裁を課すことを発表した。この決定について、サッカーファンの間

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  • 宮間あやが語る半生と女子サッカーの今=岡山湯郷となでしこジャパンのステータス - スポーツナビ

    岡山から一両編成の電車に揺られ、緑溢れるいくつかの谷を通り過ぎると、林野という小さな駅に辿り着く。駅からさらに車で少し移動し、山あいのスポーツ施設へ。そこでは小雨の中、岡山湯郷ベルの女子サッカー選手たちが練習に励んでいた。周囲は全くの静寂に包まれており、ただ選手たちのボールを呼ぶ声や、笑い声や叫び声だけが聞こえてくる。 早秋の夕暮れが迫ると、ピッチに残ったのは数人の選手のみとなり、彼女たちはセットプレーの練習に取り組み始めた。その中でも小柄な宮間あやの両足からは、ひときわ素晴らしいフリーキックが放たれていた。 私服姿の宮間と街中ですれ違ったとしても、彼女が世界女王であるなでしこジャパンのキャプテンだとは誰も気が付かないかもしれない。だが彼女が練習する姿を2時間ほど見ているだけでも、2年連続でアジア最高の女子選手に選ばれた理由がはっきりとうなずけるものだった。 「練習はすごく好きです。PKや

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  • 「ジェフ愛」を隠そうとしない人々=J2漫遊記2013 ジェフユナイテッド千葉(後編) - スポーツナビ

    ワールドカップ(W杯)・ドイツ大会が開催された2006年は、ジェフユナイテッド千葉とそのサポーターにとって、極めて振幅の激しかった1年として深く記憶に刻まれている。前年に完成したフクダ電子アリーナ(通称フクアリ)の効果もあり、1試合平均の入場者数は前年から40.5%増の1万3393人を記録(以後、07年から09年まで1万4000人台をキープ)。また前年に続いて、ナビスコカップ連覇も果たした。前回の決勝ではガンバ大阪に0−0からPK戦までもつれたが、この時は鹿島アントラーズに2−0の完勝。チームのさらなる成長を感じさせる優勝であった。ただし、国立競技場で胴上げされたのは、イビチャ・オシムの息子、アマル・オシムであった。 「あ、オシムって言っちゃったね」――。川淵三郎日サッカー協会会長(当時)のこの一言が発端となり、千葉は契約満了を待たずにオシム監督を協会に差し出すことを余儀なくされた。オシ

    「ジェフ愛」を隠そうとしない人々=J2漫遊記2013 ジェフユナイテッド千葉(後編) - スポーツナビ
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    YUKI14
    YUKI14 2013/10/25
  • 『ももクロ×オリンピック』国立へ聖火を!=演出家・佐々木敦規氏インタビュー - スポーツナビ

    2020年東京五輪を祝して国立競技場に灯された聖火、いつの日かももクロちゃんたちも…… 【写真は共同】 8.4日産大会における『ももクロ×スポーツ』。演出家・佐々木敦規氏へのインタビュー第2回目は、ひろしによるライブ中のフルマラソン挑戦、聖火台に火を灯した意味を聞いた。 その中で出てきたももいろクローバーZとマラソンの共通項。ももクロのストーリーは山あり谷ありのマラソンのようであり、しかもペースを考えない掟破りの走法なのだという。そして、開催が決定した2020年東京五輪。ももクロとオリンピックの融合は果たしてあるのだろうか? 一方、話題は12月23日開催のももいろクリスマス2013にもおよび、「極寒の西武ドーム。覚悟をしてください」と佐々木氏。ももクロのメンバー同様、これまで数々の試練にさらされてきたモノノフ(ももクロのファン)はこの冬、史上最大の“覚悟”を迫られることになりそうだ。 ま

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  • ももクロ百田夏菜子は、長嶋茂雄である=演出家・佐々木敦規氏インタビュー - スポーツナビ

    8.4ももいろクローバーZ日産大会を題材とした特別企画『ももクロ×スポーツ』。演出家・佐々木敦規氏へのインタビュー最終回は、日産大会を飛び越え、かつて佐々木氏が携わってきた総合格闘技イベント「PRIDE」とももクロの共通点、モノノフ(ももクロのファン)とスタッフがももクロに捧げる無限の愛、そして佐々木氏から見たメンバー5人の現在にまで話題が及んだ。 驚異的なスピードで大きくなっていくももクロに捧げるスタッフの愛情は、一時代を築いた総合格闘技イベント「PRIDE」と同じ巨大さ。――コードは『愛』だ――そんなスタッフの愛に支えられ、一方で、想定を軽々と超えていく5人のポテンシャルに、いつも佐々木氏は驚かされるという。 その中で出てきた「赤担当のリーダー・百田夏菜子は長嶋茂雄である」という言葉。ミスターの後継者がついに現れた……いや、その前に、絶対不動のセンターにして愛すべきドアホウ・百田夏菜子

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  • 『ももクロ×スポーツ』その融合と親和性=演出家・佐々木敦規氏インタビュー - スポーツナビ

    8.4日産スタジアム「ももクロ×スポーツ」の融合はいかにして生まれたのか? 【(C)STARDUST PROMOTION INC.】 2013年夏……バルセロナで世界水泳、モスクワでは世界陸上と立て続けにワールドクラスの一大スポーツイベントが開催された。一方、ここ日でも、8月4日に5人組のアイドルグループ『ももいろクローバーZ』(百田夏菜子、玉井詩織、佐々木彩夏、有安杏果、高城れに)が神奈川・日産スタジアムで『ももクロ夏のバカ騒ぎ WORLD SUMMER DIVE 2013 8.4日産スタジアム大会』と題されたライブを開催。女性グループ単独としては史上初の日産スタジアムライブを成功させた。 チケットの先行抽選販売では大多数が落選し、一般販売もわずか2分ともたずに完売。当日はスタジアムに6万人が集結し、全国55カ所の映画館・ライブハウスで同時生中継されたライブビューイングにも2万5000

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  • 謎に包まれていた2ステージ制復活の意図=成長シナリオを描くために必要な決断 - スポーツナビ

    9月17日、2015年からのJ1リーグにおいて、2ステージ制+プレーオフが導入されることが、Jリーグの理事会で承認された。当日、理事会後の会見を取材するべくJFAハウスを訪れると、20人ほどのサポーターが「2ステージ制反対」の横断幕やボードを掲げている姿に出くわし、チクリと胸が痛む。この3日前に行われたJ1の試合でも、各地のスタジアムで2ステージ制反対を訴えるサポーターの横断幕が掲出されていた。だが、そうした彼らの切実な訴えは、残念ながらJFAハウスの人々に届くことはなかった。 個人的には、1ステージ制を維持してほしかったという想いは、今でも強い。理由は言うまでもなく、それが最もフェアだからだ。2ステージ制は1996年を除いて11シーズン行われてきたが、1年を通して最も勝ち点を積み上げたチームが優勝できないケースも少なからずあったのは周知のとおり(00年の柏レイソル、01年のジュビロ磐田、

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  • 大儀見優季がなでしこで見せる成長の跡=心技体が響き合い進化する日本のエース - スポーツナビ

    なでしこのエースの地位を確立した大儀見。その成長は常に涙とともにあった 【写真:CameraSport/アフロ】 サッカー女子代表(なでしこジャパン)は、20日に開幕する東アジアカップ(韓国)に大会3連覇を懸けて臨む。そんなチームの中で、今や不動のエースの地位を確立し、欠かせない存在となったのが大儀見優季だ。 26歳にして、あと2試合で代表100試合出場を達成し、初めて代表入りした2004年から数えると今年で日本代表10年目となる。出場歴、その風格からして、何年も前からベテランと思われがちだが、「代表では、まだ下から数えた方が早いからね」と笑う。しかし、自分のプレーでチームを引っ張っていくという自覚は人一倍で、すでに何年も前からその思いでプレーしている。 年齢の数字以上に経験が豊富な彼女は、「すべての経験がプロセスとなり、今の自分を作ってきた。そして今、この瞬間も未来へ向けてのプロセス

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