あの日から77年目の夏を迎える広島。今年もまた、8月6日が近いてきた。1945年(昭和25年)原爆投下により焼け野原となった広島で、復興に向け少しずつ立ち上がる人々の夢や希望を背負って発足したのが『カープ』だった。ゆえに今もなお”市民球団“であるカープと広島市民の間には強い絆が存在する。カープ誕生時から選手として在籍し、“小さな大投手”長谷川良平さんとバッテリーを組んだことでも知られる長谷部稔氏のインタビューを再録する(過去の掲載記事を再編集)。 ◆広島の人々の夢や希望を背負った球団 広島にプロ野球球団ができるという話が出たのが昭和24年のことでした。原爆が投下され、焼け野原となったところにプロ野球という楽しみができるということですから、当時の広島県民にとってはカープが生きる夢や希望でしたね。 カープの結成披露式が行われたのは、翌年1月15日のことでした。選手は元プロ野球選手を寄せ集めて2
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