ところで、学者が亡くなった場合、お経よりも本人の会心の論文を朗読してあげる方が本人にとっても残された人にとっても供養になったりしないのだろうか。 金があるなら精緻な3Dプレゼンテーションと素敵なラテンビッグバンドの生演奏、日本語/英語/フランス語の字幕、浜村淳の司会とピチピチのキャンペーンガール、会場にはゲランの香水が芳しく漂うという松のフルセット。それならば葬式費用が数百万でも納得がいきます。 金がない場合は紙芝居か論文を会場で回覧し、最後に護摩の焚付にするという梅コース【神仏混合おれカネゴン】。