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2023年11月3日のブックマーク (4件)

  • こころの道しるべ(190)まだ知らない自分 - 片柳神父のブログ「道の途中で」

    まだ知らない自分 「わたしはこの程度の人間」と思って、 あきらめるのは早すぎます。 わたしたちが知っているのは、 自分のほんの一部だけ。 わたしたちの中には、 まだたくさんの可能性が眠っているのです。 「自分はまだ自分のことを知らない」 という事実を、謙虚に受け止めましょう。 『やさしさの贈り物~日々に寄り添う言葉366』(教文館刊) ※このカードはこちらからJPEGでダウンロードできます⇒ A3 道しるべ190「まだ知らない自分」A3.JPG - Google ドライブ ハガキ 道しるべ190「まだ知らない自分」KG.JPG - Google ドライブ

    こころの道しるべ(190)まだ知らない自分 - 片柳神父のブログ「道の途中で」
  • 自己肯定感とキリスト教と当事者研究と - ぼたもち(仮)の重箱

    おはようございます。 さて。 皆さんは、自己肯定感は高いほうですか? どこかの自己啓発系ブログみたい!! 違います違います。 この二日くらい真剣に考えているのです。 クリスチャンのくせに自己肯定感が極端に低い私自身のことを。 自己肯定感とキリスト教とかクリスチャンとか、そのあたりのキーワードでテキトーにググってみたりすると、見事なことに「クリスチャンは自己肯定感が高い!」とか、「自己肯定感の低いクリスチャンもいます、でもそんなあなたを神様は愛しています」とか、「イエス様はありのままのあなたを愛してくださいます」とか、ざっくざっくとブログが発掘できます、ええ。 ふざけんなよー。 よく聖書を読みましょうよ!! 人間は罪にまみれてるんですよ!! アダムとエバが知恵の木の実をべちゃってエデンの園から追い出されたときに、自己肯定感が高かったと思いますか!? 思いっきり自責満載だったと思いますよ。

    自己肯定感とキリスト教と当事者研究と - ぼたもち(仮)の重箱
  • 「母とは二度と会わない」絶縁選んだ娘の辛い半生

    「『障害のある親が子どもを育てる』みたいなトピックが出ると、バッシングされることがありますよね。『子どもがかわいそう』とか『こんな人が子どもを産んだり育てたりしてはいけない』みたいな。でも私はそういうことを言いたいのでは、絶対にないんです」 今回登場してくれるのは「母親が軽度の知的障害でした」と連絡をくれた、30代の柚実さん(仮名)。やや蒸し暑い平日の午後、広々としたコーヒー店のテラス席に着くと、「最初にお伝えしたいことがあって」と口にしたのが冒頭の言葉でした。 小学生のときに両親が離婚し、母親に引き取られて祖父の家で暮らしてきた柚実さんは、今から5年ほど前、結婚を機に実家と縁を切りました。安定した仕事につき、夫と生活する柚実さんは、最近ようやく「これが私と母親の適切な距離だ」と感じるようになったといいます。これまで、どんな道を歩んできたのでしょうか。 中高生のように「うるせえんだよ」と声

    「母とは二度と会わない」絶縁選んだ娘の辛い半生
  • 祈りの小箱(125)『神様にすべてを委ねる』 - 片柳神父のブログ「道の途中で」

    『神様にすべてを委ねる』 キリスト教徒はよく「神様にすべてを委ねる」と言います。キリスト教の信仰の一番基的な姿勢なのですが、ともするとわたしたちはこの言葉を間違った意味に使ってしまうことがあります。自分のやりたいことだけを勝手にやって、その結果を「神様にすべてお委ねする」ということをしてしまいがちなのです。 例えば、自分がどうしても入りたい学校や会社があったとします。そんなとき、わたしたちはそのための助けを神様に祈り、全力でがんばって何とか試験に通ろうとするでしょう。全力で勉強して、その結果は「神様にすべてお委ねする」ということになるのです。ですが、これは当に正しい態度なのでしょうか。神様が出てくるのが、ちょっと遅すぎるような気がします。当に「神様にすべてを委ねる」なら、まずどの学校、どの会社に入るべきかを神様によくお尋ねするべきなのです。よく祈り、尋ね求めた結果、その道が神様の御旨

    祈りの小箱(125)『神様にすべてを委ねる』 - 片柳神父のブログ「道の途中で」