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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/tatsu2 (4)

  • とある科学の超電磁砲のアニメ的工夫 - subculic

    アニメーション注目作として個人的にも楽しみだった『とある科学の超電磁砲』。より盛り上がるよう、原作のエピソードを再構成しているのは周知の通りですが、工夫の凝らし方が憎い。第1話から佐天涙子&初春飾利コンビが御坂美琴と出会い、第2話で2人を寮に招くなど、主に佐天涙子の役割を広くしているのは明らか。原作は美琴と黒子の2人が話を動かし、ジャッジメントという要素の補強に初春がちょくちょく加わるものの、基的には美琴と黒子の物語であるのに対し、アニメ版は佐天涙子&初春飾利をピックアップして、女子校生4人の話にしようとしているんですよね。第2話で披露されたEDは顕著な例。『とらドラ!』を彷彿とさせる色彩を上手く使う長井監督らしいEDも、女性4人となると男っ気は完全に無くなり、華やかさが一層増した。原作は上条さんが活躍している間、美琴は何をやっていたのか?という趣旨の美琴スピンオフに、黒子というアクの強

  • エンドレスエイトの構造的期待 - subculic

    アニメーション涼宮ハルヒの憂 エンドレスエイト3話目。長門有希という少女が居る。彼女は15499回何を思ってきたのだろう。推し量ることは出来ても、説明し得ない。無限に続くループ構造。僕らは知っている。涼宮ハルヒが原因だと。彼女も知っている。涼宮ハルヒが原因だと。解決策は何か?まだ分からない。キープレイヤーであるキョンに一縷の望みを託すほかない。僕らは3回目、長門有希は15499回目。正直言って、見飽きて来た風景だ。今回こそは、と何か期待して、結局何も変わらず、スタートラインへ逆戻り。繰り返される風景の中、少し視点を変えれば、違うものが見えたりする。服装が。発言が。しかし、帰結する場所はいつも同じ。そこに波乱はない。諦めが人を殺す。率直に言って、このように思いました。どうせ3回目で解決するのだろうと、高をくくっていたのだけれど、弛緩した心模様をあざ笑うかのような既視感。「これは決して終わら

  • 美少女アニメの泣き作画 - subculic

    アニメーション | 04:51 | 美少女アニメ全盛の昨今、ヒロインの凝った「泣き」芝居を見せる作品が多くなった。泣きはドラマを構成する上ではポピュラーな芝居であり、秀逸な「泣き芝居」はそれこそ枚挙に暇が無い。だが、今回は美少女アニメの泣きに注目してみたい。泣き作画について作品ごとにピンポイントで語られることはあっても、まとまって語られることは少ない。たまにはこういった限定的な芝居に注目するのも面白いだろうという趣旨だ。泣き芝居は歌舞伎・狂言・能という各伝統芸の泣きからも研究されており、美少女アニメの泣きも基的にはそういったアニメーション作画の歴史・研究の延長線上にあるものだろう。ところが「美少女アニメ」という枠組みの中にある「泣き」は少し違った感想を抱かせる。男性的な視点で見た“美少女”たる彼女らは、端正で可愛らしい顔立ちが商売道具なのだけれど、「泣き」の場面では激情を表現しなければな

  • 『けいおん!』6話の演出と石原立也 - subculic

    アニメーション | 02:23 | ついにライブ回、ということもあり相当な期待を背負った感もある6話ですが、山田尚子監督と演出・コンテの石原立也がどう捌くのかと思っていたところ、成る程、こう来たかと。今回描きたかったことは、学園祭における「軽音部」の過ごし方どのような気持ちでライブを迎えるのか主にこの2点でしょう。ライブがメインに見えて、描写の中心となったのは“学園祭ライブ感”なんですよね。一体どのように学園祭当日を過ごし、どういった心境でライブ番を迎えるのか。構成的にはライブがトリであるものの、それまでの心情や動きを細かに描くことで“学園祭のバックボーン”が強度を増したように思えた。その象徴となったのが5話でも麦わら帽子をかぶって登場した彫像。6話では学園祭仕様に。5話の牧歌的な雰囲気と6話のお祭り感を対比的に関連付けし、心境や空気のシンボルメタファーとして作用させる。麦わら帽子をかぶ

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