フリュギア(Phrygia, 古代ギリシア語: Φρυγία)は、古代アナトリア(現在のトルコ)中西部の地域名・王国名である。フリギア、またはプリュギアとも表記する。 フリュギア人(英語版)(英: Phrygians)は、インド・ヨーロッパ語族のフリュギア語を話す人々で、おそらくヨーロッパから紀元前12世紀頃移住してこの地域を支配し、紀元前8世紀に国家を建てた。しかし紀元前7世紀末頃キンメリア人の支配に屈し、その後隣接するリュディア、さらにアケメネス朝、アレクサンドロス3世(大王)とその後継者たち、そしてアッタロス朝に支配されたのち、古代ローマ領内の地域名として名を残した。フリュギア語は6世紀頃まで残った。 ミダス王の墓(紀元前6世紀) フリュギアはギリシア神話にもたびたび登場する。またホメロスの「イーリアス」などにも、神話的なフリュギアの歴史が登場する。 神話中のフリュギア王はゴルディア