食い意地が張っているせいか、おいしい食べ物が登場する物語が大好きだ。活字で描写されている料理の手順を頭の中で再現しながら、漂ってくる香り、鍋がたぎる音、美しい彩りを思い浮かべると、電車の中でも、歯医者の待合室でさえも、元気が湧いてくる。 お江戸神田の御台所町(現在の東京都千代田区外神田、JR御茶ノ水駅近辺)の蕎麦屋・つる家で腕を振るう澪を主人公にした『八朔の雪』『花散らしの雨』は、数ある「おいしそうな小説」の中でも、最上級の三つ星クラスだ。 澪は大阪の生まれ。幼い頃に水害で両親を失い、町をふらついているところを、料理屋・天満一兆庵の女将・お芳に拾われる。味覚の鋭さを見込まれ、いよいよ料理の修業が始まろうとした矢先、一兆庵は貰い火で焼失してしまう。頼りの江戸店にたどりついたものの若旦那は行方知れず――。 次々と不運に見舞われるが、それでも、健気にまっすぐに生きる澪の人柄に惚れこんだつる家の主