中仙道木曾馬籠宿で17代続いた本陣・庄屋の当主青山半蔵は、平田派の国学を学び、王政復古に陶酔。山林を古代のように皆が自由に使う事ができれば生活はもっと楽にできるであろうと考え、森林の使用を制限する尾張藩を批判していた。 和宮下向、長州征伐など歴史の動きが宿場にも押し寄せる。やがて大政奉還の噂が流れ、村人たちは「ええじゃないか」の謡に合わせて踊り歩いた。半蔵は中津川の友人から王政復古が成ったことや京都の情勢を聞き、篤胤の「一切は神の心であろうでござる」という言葉を胸に思い浮かべる。 半蔵は下層の人々への同情心が強く、新しい時代の到来を待っており、明治維新に強い希望を持つ。しかし、待っていたのは西洋文化を意識した文明開化と政府による人々への更なる圧迫など、半蔵の希望とは異なっていた。更に山林の国有化により、一切の伐採が禁じられる。半蔵はこれに対し抗議運動を起こすが、戸長を解任され挫折。また、嫁