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2014年4月8日のブックマーク (5件)

  • いい話(W社を辞めました) - アスペ日記

    (2015/09/01追記:この記事は私がW社に在籍した2013年4月から2014年4月までの間の個人的な経験に基づくものです。就職の参考にされる方は、その後W社の社風や開発者の扱いに変化があったかどうか等についてご自身で最新の情報を得ていただければと思います。) (2019/08/17追記:社名を「W社」に置換しました。) 記事タイトルの通り、W社を退職したので、退職エントリを書く。 (最近雑文に対していろいろと予防線を張ることが流行っているらしいので、一応これもポエムだと書いておく。役に立つことは書いていない) 今日が最終出社日だった。 ちょうど 1 年ぐらい勤めたことになる。 2 社連続で 1 年で辞めたことで、自分が社会不適合者であることが誰の目にも明らかになってしまった。 これから先の人生の見通しは暗い。 その間に子供が生まれたのだが、不憫でたまらない。 いい話というのは、Goo

    いい話(W社を辞めました) - アスペ日記
  • 豊かな生活を求めた結果にゃんぱすー / “里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く” - 本しゃぶり

    [asin:4041105129:detail] 都市ではなく、里山のある田舎に住む者が賢いという時代が来ているのかもしれない。 のんのんびより 1 (MFコミックス)より このは現在の日を支配している都市的な考え方 = マネー資主義だけに頼るのではなく、田舎的考え方である「里山資主義」を取り入れることが人々の生活を豊かにし、更にはエネルギー問題の解決にも繋がるのではないかと主張している。 なぜ「里山資主義」とやらで豊かになれるのか。これを理解するには、終了時に多くの難民を産んだと言われる『のんのんびより』を見ればわかるだろう。その描写の素晴らしさは二期が決まっただけのことはある。 都市とマネー資主義の問題 切れたら終わり 田舎の良さを語る前に、まず都市の問題からこのは始める。田舎より都市のほうが効率的で優れているはずだ。人々を一箇所に集めることで無駄な移動を減らし、一つ

    豊かな生活を求めた結果にゃんぱすー / “里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く” - 本しゃぶり
  • 理研についてなど

    この文章についてSTAP騒ぎをスルーするつもりだったのですが、最近はどうも変なイメージばかりが拡散されているようで これらは陰謀論の新たな種になってしまうのではないかと思えてきました。 そこで僕の知っている範囲ですが、理研のことなどをここに書きだしてみる事にしました。 特定の組織・人物をかばう/中傷する意図はないつもりですが表現に問題が有りましたらご指摘ください。 このような文章を書き慣れていないので見苦しかったら申し訳ありません。 僕について僕は理研で1年程お世話になっただけの身です。現在は所属は違います。 院を卒業してそれほどたっていない、まだ学生のようなものです。 無知故に以下の内容には間違いがあるかもしれません。もし間違いに気付いたらご指摘いただきましたら幸いです。 この文章をご覧になる方はトラバやブクマコメントまで目を通すようにおねがいいたします。お手数をおかけいたします。 理研

    理研についてなど
  • 憧れの彼女

    めちゃくちゃ頭のよかった高校の同級生。 最高峰の国立大(理系)に行き、大手メーカーに就職。 顔もハーフ系で可愛く、モデル体型、 性格も明るく、優秀なのに嫌味もなく、どこをどう取っても申し分ない。 少々恋愛に不器用なところがあり、恋人はなかなかできないようではあったが…。 私は彼女にあこがれていた。スーパースターだった。 その彼女が、片田舎の地元に帰って一年がたった。 小さな会社の事務として働いているという。 彼女と数年ぶりにのみに行き、こんなことを聞いた。 「前の会社では専門職の為女性が少なく、ロールモデル不在だった。 結婚して退職するか、(相手はエリートの人じゃないとごちゃごちゃ陰で言われるとか) バリバリキャリアを積んでいくのか2択を強要されている気がした。 今思えば、違う道を私が作ればよかったんだけど、 その時は追い込まれてそうしか思えなくて。 勉強や仕事は好きだけど、人に指導したり

    憧れの彼女
  • 父が癌になった。

    母親から父が癌になったとメールがきたとき、なんの根拠もなく、おそらく病状は深刻ではなく、切除すれば完治するだろうと思っていた。 今日、母親から、転移がひどく、完治の見込みはないとのメールがきた。 母親に電話をした。 心配をかけてごめんと泣いている。 謝る必要などないのに、いたたまれなかった。 みんなで頑張ろうと、気休めにもならないことを言って、電話を切った。 父親の思い出はあまりない。 仕事が忙しく、出張の多い人で、あまり遊んでもらった記憶が無い。 家にほとんどいなかった。 家にいてもを読むか、寝ているか、テレビを見ているかで、あまり会話もしなかった。 万引きで補導されたときはひどく怒られたけど、それ以外怒られた記憶もない。 父からいわれたことで印象に残っているのも「文学部は就職で不利だから法学部にいけ」ってことくらいしかない。 (結局文学部に入って父親の言うことは正しかったことを数年後

    父が癌になった。