大日本帝国陸軍発足後の1874年(明治7年)、フランス陸軍から体操教官として招聘されたジュクロー軍曹がフランス式剣術、銃剣術を紹介したが、本人は専門ではなかったため、普及するまでには至らなかったようである[2]。 1884年(明治17年)、フランス陸軍から陸軍戸山学校に剣術教官として招聘されたド・ビラレー中尉、キエール軍曹が正剣術(フェンシングのフルーレ)、軍刀術(フェンシングのサーブル)、銃剣術を本格的に指導した。 1887年(明治20年)、フランス人教官が解雇帰国すると、フェンシングや西洋式の銃剣術を取りやめ、日本の伝統的な剣術や槍術を元にした独自の軍刀術・銃剣術を制定する動きが起こった。銃剣術については、まだ槍術が指導されていた宮内省済寧館に戸山学校教官が派遣され、槍術が研究された。 1890年(明治23年)、戸山学校長・大久保春野大佐は、フランス式剣術・銃剣術の廃止と日本式軍刀術・