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ブックマーク / fujipon.hatenablog.com (7)

  • 「『本屋大賞』を獲れなかった」本当に面白い歴代候補作10冊を選んでみました。 - いつか電池がきれるまで

    先日、2017年の『屋大賞』が発表され、恩田陸さんの『蜜蜂と遠雷』が、直木賞との史上初の「二冠」に輝きました。 屋大賞も2017年で14回目となり、僕は第4回から、全部の候補作を読んでいるのですが(第3回は町田康さんの『告白』のみ未読)、大賞受賞作は大きな話題になるものの、それ以外の作品は、けっこう忘れられがちなんですよね。 そんな「『屋大賞』を獲れなかった作品たち(って言っても、これだけたくさんが出ているなか、候補になるだけでもすごいことなんですが)」のなかで、好きな作品を10作、ピックアップしてみました。中には、映画やドラマ化されていて、けっこう有名なものもあるのですが、個人的には、大賞受賞作に引けをとらないというか、こっちのほうが面白かった!というものもあります。 基的なルールとして、2017年4月に読んでも楽しめるもの、そして、ひとりの作家につき、ひとつの作品、ということ

    「『本屋大賞』を獲れなかった」本当に面白い歴代候補作10冊を選んでみました。 - いつか電池がきれるまで
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    abebe777 2017/04/26
  • 「ネットでの自己実現・お金稼ぎ志望」というのは、「ギャンブル依存」と同じ仕組みなのかもしれない。 - いつか電池がきれるまで

    www.nikkei.com カジノカジノって言うけれど、実際のところ、世界レベルでもカジノを含む新規リゾート開発でうまくいっているところって、最近ではマカオくらいしかない、というのを聞いたことがあります。 そもそも、こんなに街中に22時過ぎまで毎日開いているパチンコ屋があり、ネットで公営ギャンブルも買いまくることもでき、ソーシャルゲームのガチャというライバルも存在する日という国で、いまさらルーレットやバカラやポーカーでディーラーや隣に座っている人とお金をやりとりする「厳しさ」みたいなものに魅力を感じる人が、どのくらいいるのだろうか。 僕はラスベガスやマカオにも行ったことがあるんですが(ギャンブルが主目的ではなかったけれど)、人間相手のものは煩わしいし、スロットマシーンは全く当たる気がせず、これなら「超大当たり」はなくても、それなりに勝てる可能性があって演出も楽しめるパチンコのほうが面白

    「ネットでの自己実現・お金稼ぎ志望」というのは、「ギャンブル依存」と同じ仕組みなのかもしれない。 - いつか電池がきれるまで
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    abebe777 2016/12/04
  • 「できない人」のための生存戦略 - いつか電池がきれるまで

    kyoumoe.hatenablog.com ああ、なんだかここに書かれていること、僕にもあてはまるなあ、なんて思いながら読みました。 僕は物事の優先順位をつけるのが苦手で、「絶対にやるべき、締め切り間近の仕事」があるにもかかわらず、あまり急がなくてもいいような些事を「これを先に終わらせてしまわなければ!」という強迫観念にとらわれて先にやろうとしてしまうことが少なからずあります。 完璧主義のはずなのに、途中で自分のイメージする「完璧」から少し外れてしまうと、「もういいや」と全部投げ出してしまいたくなる。 100か0か。 実際は60で十分だったり、100じゃなくても、60より70や80を目指すべきなのに。 40歳を過ぎると、自分がそういう人間であるということに慣れてきて、自分自身の取り扱いマニュアルみたいなものができてはいるんですけどね。 少なくとも臨床の場で、あまり不安定な仕事をするわけに

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    abebe777 2016/06/21
  • 「会社をやめて、ブログで食べていこう」と思っている若い人たちへ - いつか電池がきれるまで

    ネットを回遊していると、ときどき、「会社をやめて、これからはブログでべていこうと思います」と宣言する若者たちを目にします。 個人的な利害関係があるわけじゃないので、「ああ、頑張れよ」と思うくらいなのですが、彼らに対して、ネット上では逆風が吹き荒れることが多いんですよね。 僕は彼らに「危うさ」を感じる一方で、そういうのが新しい生き方のひとつであり、それでべていけるという選択肢が世の中にあるほうが、生きやすいのではないか、とも思っています。 若いうちであれば、何かやってみてうまくいけば万々歳だし、失敗しても、「それもまた経験のひとつ」として今後に活かせるところもあり、ブラック企業、あるいは「どうしても自分に合わない場所」にしがみついているよりはマシなんじゃなかろうか。 でもなあ、そうやって「理解のある大人」であろうとしながらも、僕のなかには、なんだかすごくモヤモヤとした感触が残っていたので

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    abebe777 2016/05/16
  • 読書とコミュニケーション能力との関係について - いつか電池がきれるまで

    今週のお題「読書の夏」 anond.hatelabo.jp 世間は夏休みの人も多いだろうし、もうすぐお盆の土曜日でもあるので、今日はちょっとした与太話を。 こういうエントリを見つけたのだけれども、僕自身の経験からすると、「読書が好きである」ということと「コミュニケーションが上手」というのは、必ずしも一致しないような気がする。 「読書が好き」というのは程度問題で、で床が抜けるかもしれない、と怖れるレベルの「書痴」の人たちは、総じて対話型のコミュニケーション、とくに世間話的なものは苦手なのではなかろうか。 で知識を得る、という習慣を持っていると、雑談なんていうのは、「非効率的な情報収集」の際たるもので、「こんな話をしているくらいなら、を読んだほうが効率的だ!」とか内心思っていたりするものだ。 ただ、読書好き、と言われるような人のなかには、いわゆる専門職についている人が多いので、「専門的な

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    abebe777 2015/08/11
  • 「ファミコン世代」の独白 - いつか電池がきれるまで

    「ファミコン世代」の一員として、なんだかちょっと憤ったり悲しんだりしているのだけれども、僕自身の1980年代くらいを振り返ってみると、ファミコンが(あるいは、ファミコンの時代が)僕に与えたいちばん大きな影響は「ヒマだな、と思う時間の消失」なのではないか、という気がする。 それまで、ビデオデッキやテレビゲームが無い時代というのは、夜は、「でも読むか、がんばって夜更かしてオールナイトニッポンでも聴くか、寝るしかない時間」だった。 テレビもそんなに遅くまではやっていないし、やっていても、「それは子供が観るものではない」とみんなが認識していた。 だからこそ「子供も『11PM』を観てみたいと思っていた」のだが。 ファミコンをはじめとするテレビゲームは、朝早くから、夜遅くまで、いつでも同じように僕を迎えてくれて、飽きもせずに一緒に遊んでくれた。 もちろん「このゲームには、ちょっと飽きてきたな」という

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    abebe777 2015/01/12
  • 人生は、必ず「やりかけ」で終わってしまうものだから。 - いつか電池がきれるまで

    人生というのは、誰にとっても、いつ、どんなタイミングで終わったとしても「やりかけ」になってしまうものだ。 最近、一冊ののことを、よく思いだす。 僕は、一度も読んだことがない。 というか、あれこれ思いだしてしまうのが怖くて、読むことができない。 もう、20年近く前の話だ。 当時、僕の母親は重い病で入院していた。 治る可能性が限りなく低く、病勢はどんどん進行していった。 家族の一員としての立場と、医療の世界にいる人間としての客観的な状況認識のあいだで、なんだかとてもいたたまれない日々を過ごしていたような気がする。 忘れてしまったのか、忘れてしまいたいのか、詳細は、もうあまり覚えていないのだけれども。 病床で、母親は僕に、ひとつの頼みごとをしてきた。 「このあいだ、テレビで紹介されていたを読みたい。『いしのなんとか』というような題名だったと思うのだけれども……それが面白そうだったから」 母は

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