ブックマーク / wirelesswire.jp (1)

  • 邪悪なものが勝利する世界において

    しかし、心を鎮めて考えれば、誰にでも分かることだが、私たちを傷つけ、損なう「邪悪なもの」のほとんどには、ひとかけらの教化的な要素も、懲戒的な要素もない。それらは、何の必然性もなく私たちを訪れ、まるで冗談のように、何の目的もなく、ただ私たちを傷つけ、損なうためだけに私たちを傷つけ、損なうのである。 少し前に知り合いの女性と久方ぶりに夕をともにする機会がありました。事の後に出向いたバーで彼女は、以前自身が体験したネット上の嫌がらせの話をしてくれました。 嫌がらせをしかけてきたのは同業の女性だったのですが、その人とは仕事上も私生活でもほとんど直接の接点はありません。そんな相手からどうして嫌がらせを受けないといけないのか。例えば、仕事でひどい目にあわせたとか、恋人を奪ったといった過去があるならともかく、面識自体ないような相手なのに。 理由があるとすれば、その女性にとっての晴れの場において、意図

    邪悪なものが勝利する世界において
    abetabettertomorrow
    abetabettertomorrow 2015/06/30
    「「邪悪」なものが勝利する現実を是正する何かしらの術があるかと言われると何もないというのが正直なところです。」あきらめるしかありませんね。しかし「邪悪な彼ら」は二度と人を批判する事は出来ないのです。
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