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ブックマーク / mtwrmtwr.hatenablog.com (2)

  • なんでクィア理論ではいまだに精神分析が扱われているの? - 境界線の虹鱒

    ジェンダーやセクシュアリティについての哲学的な議論では、フロイトやラカンなどの精神分析理論が繰り返し批判されてきた。なかでも有名な批判の1つが、ジュディス・バトラーの『ジェンダー・トラブル』だろう*1。 しかし、それにもかかわらず、精神分析理論はいまだクィア理論のなかで言及されている。もちろんフロイトやラカンの主張が素朴に肯定されるわけではない。けれど彼らの主張に批判を加えつつも、その語彙や枠組みに大きく依拠ながら、議論が展開されるのだ。 「精神分析などという、複雑怪奇な概念を乱用する非科学的なシロモノが、いまだマトモに取り扱われているのは何故なのか?」こう思われる方も少なくないだろう。実際、私も学部生の頃には似たような疑問をいだいていた。 とはいえ、昨年度に精神分析系のクィア理論について論文を書いたなかで、先の疑問についても自分なりに考える機会があった。その結果としての暫定的な回答を、以

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  • 『苦痛か性的快感かの表情判断における性差』(梗概和訳と雑感) - 境界線の虹鱒

    (原題 "Sex Differences in the Assessment of Pain Versus Sexual Pleasure Facial Expressions") 梗概(和訳) まったく異なる情動でありながら、苦痛を感じている人の表情は、強い性的快感を感じている人の表情と驚くほど似ている。私たちは、男女それぞれの顔写真が苦痛を感じている表情なのか性的快感を感じている表情なのかを区別することに、性差が存在するかどうかを調査した。インターネットから取得した、苦痛と性的快感のいずれかを感じている人の写真を、スライドショー形式で91人の回答者に示し、その写真に写る人が苦痛と性的快感のどちらを感じているのか識別させた。全体として、被験者は性的快感と比べて苦痛の表情をより正確に識別することができた。被験者はまた、女性が苦痛を表現している写真を識別するということになると最も高い正答率を

    『苦痛か性的快感かの表情判断における性差』(梗概和訳と雑感) - 境界線の虹鱒
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