エストラゴン「さぁもう行こう」 ヴラジミール「だめだよ」 エ「なぜさ?」 ヴ「ゴドーを待つんだ」 エ「ああ、そうか(間)確かにここなんだろうな?」第二次世界大戦直後に書かれた演劇「ゴドーを待ちながら」。 ゴドーなる救世主を待つ二人のホームレスが、風通しのいい道端で脱力したやりとりを続ける。人ごみからの距離も十分だ。 だが、待ちわびたゴドーが訪れることはいつまでもない。ドラマも宴もなく、ただ間延びした時間が流れるだけだ。 どこかで見た光景だ。そう、COVID-19と「第三次世界大戦」を繰り広げているという2020年5月の日常である。 ほとんどの個人にできるのはせいぜい自粛と待機。そこに「世界大戦」の華々しいファンファーレは聞こえない。 自宅の椅子に座って「終息」なる救世主を待つ、いつになく間延びした日常があるだけだ。 今回だけではない。人類は古代から終息を待ちつづけてきた。一見情けなく受け身
![敵は友、友は敵 文明と新型コロナについて|成田 悠輔](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/9824f6e62341e761306c65eb3749d439867a88ec/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fassets.st-note.com%2Fproduction%2Fuploads%2Fimages%2F29628501%2Frectangle_large_type_2_f3aeeafa8675244a47bdffde8cb8d605.jpeg%3Ffit%3Dbounds%26quality%3D85%26width%3D1280)