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ブックマーク / sportsnavi.yahoo.co.jp (4)

  • コンディショニングが高めるサッカーの質 - スポーツナビ

    サッカーの質を高め、子どもの夢になる」という目標に向かい、オランダに渡った相良(中央)【写真提供:相良浩平】 筑波大でスポーツ医学を勉強しながら、サッカー部でトレーナーをしていた一人の男がいた。その名は相良浩平。「卒業したらさらにどこかで勉強して、Jリーグに行きたい」という夢を抱いていた。 しかし、当時のJリーグのトレーナーは鍼灸(しんきゅう)系が中心で、相良が極めようとしていたスポーツリハビリ専門のフィジオセラピストを教育する学校はなかなかなかった。 この分野では米国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドが進んでいたが、将来サッカーの世界で生きることを考えれば行き先は自ずとヨーロッパになった。 「オランダはいいぞ。オランダはサッカー先進国だし、フィジオセラピーも進んでいる。この分野では世界一だ」 大学の先輩からこうアドバイスを受けた。「世界一はさすがにおおげさだな」と思いな

  • ヤングなでしこ、祭典の終わりに思うこと - スポーツナビ

    ヤングなでしこ、祭典の終わりに思うこと (1/2) U−20ナイジェリア女子代表 1−2 U−20日女子代表 8月19日、宮城スタジアムで開幕を迎えたU−20女子ワールドカップ(W杯)は、3週間後のこの日(9月8日)、ついに東京・国立競技場にて最後の2試合、すなわち3位決定戦と決勝を迎えることとなった。4日前の準決勝で、ドイツに0−3で敗れたヤングなでしこ(U−20日女子代表)は、同じく米国に敗れたナイジェリアと3位決定戦を戦う。キックオフは15時30分。いつもより早めに記者席に腰を落ち着けると、そこには普段見慣れたものとは異なる風景が広がっていた。 この3位決定戦は、ナイジェリアがホーム扱いとなる。そのため、日のサポーターはいつもとは逆(記者席から見て右側)のゴール裏に陣取っていた。そういえば青空の下、巨大な日の丸が振られている光景も、これまた新鮮な光景である。国内で昼間に代表戦

  • スポーツナビ | サッカー|日本代表|アゼルバイジャン戦で試されたこと(1/2)

    アゼルバイジャン代表の監督が、あのベルティ・フォクツであることを、私は恥ずかしながら試合前日まで知らなかった。 「非常に長い年月を経て、再び来日できてうれしく思う。最後に来たのは2002年ワールドカップ(W杯)・日韓大会。その前が1984年で、さらに前が70年だった。選手として1度、コーチと監督として2度来ている」 前日会見の冒頭でこう語ったフォクツ。実のところ、メンヘングラッドバッハの一員としての初来日は、70年ではなく69年である。とはいえ、10年ぶりとなる今回の来日には、実に感慨深げであった。感慨深いのは、われわれ取材陣、とりわけ40代以上の記者も同様である。私の隣に座っていたベテラン記者は、うれしそうに何度もうなずきながらメモをとっている。 フォクツといえば、多くの人には「ユーロ(欧州選手権)96でドイツ代表を優勝に導いた監督」であろうが、私よりも上の世代であれば、74年W杯

  • スポーツナビ|欧州サッカー|スペイン[リーガ・エスパニョーラ]|辞め際までエレガントだったグアルディオラ(1/2)

    バルセロナで最も美しいチームを作り上げたグアルディオラは、会見までエレガントだった【Getty Images】 その衝撃の大きさから、ジョゼップ・グアルディオラの退団発表を1970年のビートルズ解散に例える人が多かった。だが両者には大きな違いがある。 すでに1年前、グアルディオラはイタリアの『ガゼッタ・デッロ・スポルト』紙のインタビューで退団をほのめかしていた。現在のバルセロナのサイクルが終わりに近づいているという彼の発言は当時、読む者に奇妙な印象を与えた。スターぞろいのチームを率いたこの4年間で獲得可能なあらゆるタイトルを手にした彼は(全18タイトルのうち13を獲得。今季のスペイン国王杯で優勝すれば、その数字は14に増える)、地元メディアとマドリー系メディアの間を行き交う過剰な対立構造に消耗しているといううわさも常にあった。 現在アスレティック・ビルバオを率いるマルセロ・ビエルサは、

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