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ブックマーク / blog.goo.ne.jp/oginoyoichi (2)

  • 『デッドプール』 ティム・ミラー - 荻野洋一 映画等覚書ブログ

    昨今のハリウッドはスーパーヒーロー物のオンパレードで、かなり傷気味である。『アベンジャーズ』なんて、ハリウッド社会も日のAKB商法を笑えない段階に来ている。この氾濫ぶりは、少年時代の夢を後生大事に守る成人男性が世界中に蔓延し、自我の温存に余念がないという時代が到来したことが唯一の理由だろう。 傷から身を守るには、確固とした映画観にもとずく腑分けしかない。そこで私は『トランスフォーマー』『ミュータント・タートルズ』のマイケル・ベイに汚い言葉を投げ、『アイアンマン』のジョン・ファヴローや『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』のルッソ兄弟、あるいは『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』のマシュー・ヴォーンに甘すぎる依怙贔屓をしてみたのだが、それも果たしていつまでもつことやら。 『X-MEN』シリーズの最新スピンオフ『デッドプール』は、スーパーヒーロー物やアメコミ原作物に興味

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  • 『黒衣の刺客』 侯孝賢 - 荻野洋一 映画等覚書ブログ

    私たちが同時代に生きていることのこの上ない僥倖を真剣に受け止めねばならない存在は、侯孝賢(ホウ・シャオシェン)ではないか。最初に侯孝賢が登場したとき、彼はいい映画を撮る人だった。いまはそれを完全に通り越して、訳の分からぬほどすごいものを提示する、規格外の存在になっている。 新作『黒衣の刺客』が見せつけるのは、侯孝賢の上手さであり、しかも彼がおのれの上手さを、あたかもそれが恥ずべきことととらえているかのように、ひた隠しにする、その倒錯的な隠匿ぶりである。たとえば、旧作『海上花(フラワーズ・オブ・シャンハイ)』(1998)を撮った時点でじつはコスチューム・プレイが得意であることはバレバレだった。並みの監督なら、コスチューム・プレイで一旗揚げたら、一生い扶持に困らぬよう案配するところだ。ところが侯孝賢の場合、それを手柄にしたくないという態度で20年近くが経過している。清末(辛亥革命の直前)の上

    『黒衣の刺客』 侯孝賢 - 荻野洋一 映画等覚書ブログ
    accordfinal
    accordfinal 2015/10/03
    『黒衣の刺客』 侯孝賢
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