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2019年8月27日のブックマーク (20件)

  • [書評] なぜ、男子は突然、草食化したのか――統計データが解き明かす日本の変化: 極東ブログ

    書のタイトル『なぜ、男子は突然、草化したのか』というのは、気になる問いかけだ。草化というのは、恋愛に淡白ということである。異性と付き合うために一生懸命活動するということの反対。つまり、異性の肉体を求めているという比喩での肉の対比である、はずだ……。 たしかに、私のような昭和の人間からすると、近年、男子が女子を口説き落とそうと必死になるというのはなくなったものだなと思う。この問いは、私の実感としてある。そこで、なぜだろうと思う。私の印象で言うなら、いやいや、今日はその話は控えておくとしてだ、それをタイトルにもってくる書はどう答えているのか。しかも、その答えは、印象といったものではなく、副題にあるように「統計データが解き明かす日の変化」である。統計、つまり、ファクトは何を語っているのか? 著者は、自身を「統計探偵」とする。統計から、各種の謎解きをする探偵になるというのだ。実際、著者

  • 人生なんて88分もあればじゅうぶんだーー『COLD WAR あの歌、2つの心』が描く愛と絶望

    わずか88分の上映時間のうちに、悠遠たる人生の有為転変が、まるごと入っている。私たちは決して長くはない時間を劇場の暗闇で過ごし、あるカップルの愛と生と性、そのすべてを味わい、激しくぶつけられ、暗闇が暗闇でなくなった時、現実の時間感覚を取り戻すのに少し苦労するだろう。 タイトルは『COLD WAR あの歌、2つの心』。監督は、前作『イーダ』(2013)でアカデミー外国語作品賞を受賞し、日公開時も非常に好評を博したポーランドの映画作家パヴェウ・パヴリコフスキ。すでに61歳となっているが、1990年代にはイギリスでテレビドキュメンタリーの仕事に従事していたそうだから、映画作家としては新鋭として考えてもいい存在だ。その『イーダ』の好評から次回作の発表まで5年も要してしまったのはいかにも惜しいことだが、その間パヴリコフスキは、激しい恋愛でクッツイタリ離レタリをくり返した両親の生涯を映画化しようと、

    人生なんて88分もあればじゅうぶんだーー『COLD WAR あの歌、2つの心』が描く愛と絶望
  • 菊地成孔の『シェイプ・オヴ・ウォーター』評:ヴァリネラビリティを反転し、萌えを普遍的な愛に昇華した、見事なまでの「オタクのレコンキスタ」は、本当にそれでいいのか?

    菊地成孔の『シェイプ・オヴ・ウォーター』評:ヴァリネラビリティを反転し、萌えを普遍的な愛に昇華した、見事なまでの「オタクのレコンキスタ」は、当にそれでいいのか? オタクに市民権を!(いつの叫びだ) 特に監督と音楽が際立って素晴らしい作は、ゴールデングローブ(以下GGA)と米国アカデミー(以下AA)の双方に於いて綺麗なまでに監督賞と作曲賞を受賞しているが(両賞が映画における最高権威とは全く思わないが(菊地成孔の『スリー・ビルボード』評:脱ハリウッドとしての劇作。という系譜の最新作 「関係国の人間が描く合衆国」というスタイルは定着するか?)、北米における映画産業内政治、並びに、それでも動かすことができない、政治力を超えた力のあり方を明確に示す、という点に於いて、合衆国観察という点で重要な2トップであることは間違いない)、アレクサンドル・デスプラ(56歳)が、現代の超ミッシェル・ルグラン(8

    菊地成孔の『シェイプ・オヴ・ウォーター』評:ヴァリネラビリティを反転し、萌えを普遍的な愛に昇華した、見事なまでの「オタクのレコンキスタ」は、本当にそれでいいのか?
  • 新たな“現代西部劇”創出の予感 『ウインド・リバー』が描く苦痛に満ちた西部史

    『ウインド・リバー』というきわめて地味な、だが孤高の美しさと悲しみをたたえたこの聡明なアメリカ映画は、現代にはたして西部劇は成立可能なのかについて、大きな問いを投げかける。そしてワイオミング州のネイティヴアメリカン保留地ウインド・リバーを舞台とする犯罪ミステリーでありつつ、現代においても西部劇は成立するのだと無言のうちに宣言する。いや、今日にふさわしい「現代西部劇」の樹立を宣言しているのだ。そして皮肉なことに、ワイオミングという辺境の州は、マイケル・チミノ監督『天国の門』(1980)の舞台となった土地ーーつまりその超大作の興行的失敗をもって、アメリカ映画史において事実上、西部劇が滅んだ不吉な土地ーーなのである。 周知のごとく、アメリカ合衆国史はインディアン(ネイティヴアメリカン)討伐の歴史であり、土地簒奪の歴史だ。映画ジャンルとしての西部劇は、開拓時代を題材とする壮烈かつ勧善懲悪の時代活劇

    新たな“現代西部劇”創出の予感 『ウインド・リバー』が描く苦痛に満ちた西部史
  • 『デッドプール』 ティム・ミラー - 荻野洋一 映画等覚書ブログ

    昨今のハリウッドはスーパーヒーロー物のオンパレードで、かなり傷気味である。『アベンジャーズ』なんて、ハリウッド社会も日のAKB商法を笑えない段階に来ている。この氾濫ぶりは、少年時代の夢を後生大事に守る成人男性が世界中に蔓延し、自我の温存に余念がないという時代が到来したことが唯一の理由だろう。 傷から身を守るには、確固とした映画観にもとずく腑分けしかない。そこで私は『トランスフォーマー』『ミュータント・タートルズ』のマイケル・ベイに汚い言葉を投げ、『アイアンマン』のジョン・ファヴローや『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』のルッソ兄弟、あるいは『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』のマシュー・ヴォーンに甘すぎる依怙贔屓をしてみたのだが、それも果たしていつまでもつことやら。 『X-MEN』シリーズの最新スピンオフ『デッドプール』は、スーパーヒーロー物やアメコミ原作物に興味

    『デッドプール』 ティム・ミラー - 荻野洋一 映画等覚書ブログ
  • 菅田将暉が演じた主人公は山崎貴の“自画像”だ 『アルキメデスの大戦』が描く倒錯した唯美史観

    山崎貴という作り手を、後世の人はいったいどのように評することになるのだろうか? 彼は今や日を代表するヒットメイカーとなり、多くの有名俳優たちが起用してくれと直談判するほどのセレブリティだ。しかし、何か様子がおかしい。この奇妙な感覚は気のせいかもしれないが、山崎の師匠筋にあたる伊丹十三が映画監督として全盛期を迎えた1980年代後半から1990年代前半にも身に覚えのある感覚である。伊丹十三の活躍には常に得体の知れない空虚が付きまとっていた。一方、山崎のキャリアについて言えば、2000年の監督デビュー作『ジュブナイル』の頃がじつは最も無邪気に「意外といい映画だよ」という評言が飛び交っていたように思える。その後の作品のうち、『ALWAYS 三丁目の夕日』3部作(2005~12)、そして『永遠の0』(2013)で、山崎貴の運命は大きく変わった。何がどう変わったのか? 日でもうひとり、VFX分野で

    菅田将暉が演じた主人公は山崎貴の“自画像”だ 『アルキメデスの大戦』が描く倒錯した唯美史観
  • 菅田将暉が演じた主人公は山崎貴の“自画像”だ 『アルキメデスの大戦』が描く倒錯した唯美史観

    山崎貴という作り手を、後世の人はいったいどのように評することになるのだろうか? 彼は今や日を代表するヒットメイカーとなり、多くの有名俳優たちが起用してくれと直談判するほどのセレブリティだ。しかし、何か様子がおかしい。この奇妙な感覚は気のせいかもしれないが、山崎の師匠筋にあたる伊丹十三が映画監督として全盛期を迎えた1980年代後半から1990年代前半にも身に覚えのある感覚である。伊丹十三の活躍には常に得体の知れない空虚が付きまとっていた。一方、山崎のキャリアについて言えば、2000年の監督デビュー作『ジュブナイル』の頃がじつは最も無邪気に「意外といい映画だよ」という評言が飛び交っていたように思える。その後の作品のうち、『ALWAYS 三丁目の夕日』3部作(2005~12)、そして『永遠の0』(2013)で、山崎貴の運命は大きく変わった。何がどう変わったのか? 日でもうひとり、VFX分野で

    菅田将暉が演じた主人公は山崎貴の“自画像”だ 『アルキメデスの大戦』が描く倒錯した唯美史観
  • 国際大山空手道連盟 WORLD OYAMA KARATE ORGANIZATION - エッセイ「汗馬の嘶き」 » GET OUT ハリウッド映画奮戦記

    最近の投稿 新しい大山空手公式Webページ! 2018年春季講習審査会 日のウエップサイト現在改良中 GET OUT ハリウッド映画奮戦記 TAKE A CHANCE 試写会 カテゴリー エッセイ (60) お知らせ (2) ワンダフル空手 (27) 内弟子 in America (21) 道場物語 (11) 最近のコメント第6話 アリとゴジラの対決 に K.Murata より道場物語、9月からお休みします。 に Yo よりGET OUT ハリウッド映画奮戦記 に ミット鈴木 よりTAKE A CHANCE 試写会 に ryuichi oshimoto よりGET OUT ハリウッド映画奮戦記 に ryuichi oshimoto より 冬とは思えない暖かい日が続く。いつもの散歩道、毎年おなじ場所にタンポポの花が群がって咲いている。地に必死にしがみついているようにして花を咲かせている。

  • 劇場版「フリクリ オルタナ」 すごいことなんかない、当たり前のことすらこなせない続編

    記事はアフィリエイトプログラムによる収益を得ています GAINAXの諸作品を手掛けた鶴巻和哉、「少女革命ウテナ」の榎戸洋司らが20世紀の終わりに放った唯一無二のOVAシリーズ「フリクリ」。難解なストーリー、魅力的なキャラクター、実験的かつビビッドなアニメーション、the pillowsの楽曲をふんだんに使用した劇伴。どこを切り取っても斬新の一言である同作は今もなお国内のみならず、海外でもカルト的な人気作である。 その17年ぶりの続編「フリクリ オルタナ」(以下、「オルタナ」)。原作権がProduction I.Gに譲渡された上、スーパーバイザーである鶴巻とキャラクター原案の貞義行を除き、オリジナルメンバーとは全く異なる制作陣によって作られることになったその出来に懐疑的だったファンは少なくない。だがあらかじめ下げておいたハードルの全てをここまで下回ると、誰が予想できただろうか。 9月2

    劇場版「フリクリ オルタナ」 すごいことなんかない、当たり前のことすらこなせない続編
  • 劇場版「フリクリ プログレ」 誰の目にもおよそ不可能なBET - ねとらぼ

    「フリクリ」の続編、「フリクリ プログレ」が公開された。 「フリクリ オルタナ」「フリクリ プログレ」予告編 私はフリクリのカッコよさにブン殴られてから、脚家やスタッフに注目してアニメを見るようになった。やがてアニメーターの名前を覚えはじめ、設定資料を買いこみ、さらにthe pillowsのコピーバンドまで始めてしまった。そんな具合であるからとりわけ個人的な思い入れが強い作品であるのは事実だが、「オルタナ」はそれを差し置いてもとにかく苦痛に満ちた時間でしかなかった(「オルタナ」については前回の記事をお読みいただきたい)。 「プログレ」についても、「フリクリ」を見てこれが出てきたかという思いは大きい。そして「オルタナ」に続き、作り手がthe pillowsについて関心があるようには見えなかった。とはいえ、ほぼ地面限界まで叩き落とされていたハードルのおかげか、比較的好意的に見ることができたの

    劇場版「フリクリ プログレ」 誰の目にもおよそ不可能なBET - ねとらぼ
  • 「シェイプ・オブ・ウォーター」が描く抑圧と解放 モンスターの一撃は何を救済したか?

    記事はアフィリエイトプログラムによる収益を得ています 劇場公開から2週間。US版Blu-rayが到着し、「シェイプ・オブ・ウォーター」米国公開版を見ることができた(関連記事)。作は監督協会賞、金獅子賞のみならず第90回アカデミー賞監督賞、作品賞含む4部門を受賞した彼の現時点でのマスターピースであり、疑いの余地もない傑作だ。 以下、公開から時間が空いた話題作ということもあり、内容には多量にネタバレを含む。また、記事の大半は作品を見たうえでないと理解できない内容になっていることをあらかじめご了承いただきたい。 (C)2017 Twentieth Century Fox 全面に押し出された"抑圧への反対" 「刀を鳥に加へて鳥の血に悲しめど、魚の血に悲しまず。聲ある者は幸福也」……といえば、映画「イノセンス」に引用された斎藤緑雨の「半文銭」だ。声をあげられない魚を模した怪物に、唖者であるイ

    「シェイプ・オブ・ウォーター」が描く抑圧と解放 モンスターの一撃は何を救済したか?
  • 私が「シェイプ・オブ・ウォーター」を劇場に見に行かない理由 映画作品に”手を加える”ということ

    ギレルモ・デル・トロが好きだ。 「ミミック」の異形が好きだ。「クロノス」の少女が好きだ。「パシフィック・リム」のフェティシズム溢れるロボットたちが大好きだ。 「クリムゾン・ピーク」の虚ろに砕けた城が好きだ。「ヘルボーイ/ゴールデン・アーミー」のオープニングが好きだ。「パンズ・ラビリンス」に描かれた社会と幻想の入り乱れるラストが愛おしくてたまらない。 彼は作品のクォリティに絶対の信頼がおける、数少ない芸術家のひとりだ。だから予告編も見ていない。あらすじも極力目にいれていない。ポスターのビジュアル以外、ほぼ何も知らない。まずは何より、作品だけを見るためだ。 公開前週の「編集」発覚 “「シェイプ・オブ・ウォーター」の日公開版は、重要なシーンが編集されている”という情報が入ってきたとき、またか、と思った。ここ最近、この手の話は定期的におこる。 最も有名かつ醜悪なのは"Lat den ratte

    私が「シェイプ・オブ・ウォーター」を劇場に見に行かない理由 映画作品に”手を加える”ということ
  • この夏屈指のホラー映画 細田守監督「未来のミライ」に見た不気味さの正体

    記事はアフィリエイトプログラムによる収益を得ています 夏といえばホラー、という風潮がなくなってから久しい。「クロユリ団地」「劇場霊」といった邦画の大作ホラーは秋口やゴールデンウィークに集中し、海外の大作ホラーは向こうでのハロウィンシーズン、10月に公開されることが多いこともあって日での公開もそれ以降が中心だ。最近の作品では滝沢秀明主演「こどもつかい」などは夏公開だったが、大人も子どもも楽しめる内容を目指した結果、ホラーからは遠ざかってしまった。 ここにスポッとおさまったのが「サマーウォーズ」「おおかみこどもの雨と雪」で知られる細田守の最新作、「未来のミライ」。天下の東宝が放つ文句なしの夏の大作映画であり、全年齢層を対象にしたファミリームービー。しかしその実態は、一言でいえば不気味だ。 (C)2018 スタジオ地図 【あらすじ】とある都会の片隅の、小さな庭に小さな木の生えた小さな家。あ

    この夏屈指のホラー映画 細田守監督「未来のミライ」に見た不気味さの正体
  • 映画「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」レビュー ゲームを、フィクションを、人生をここまで愚弄する作品を私は他に知らない

    記事はアフィリエイトプログラムによる収益を得ています 公開初日の六木ヒルズ。ほぼ満員の客席、20代から30代と思しき方々がパンフレットを手に「ドラクエ映画」を談笑しながら待ちわびていた。 「ビアンカとフローラどっちを選ぶのか」「どこまで忠実にドラクエができるんだろう」「ピエールは出るかな?」。作はシリーズ屈指の名作でありながら、幼年期・青年期・その後と主人公の人生そのものを追体験するかたちで描かれる「V」の映画化ということもあり、観客、すなわちプレイヤーそれぞれの個人体験が根付いてしまっているような作品である。そのため公開前に語りたいことも多かっただろう。自分もその1人だ。 「1時間40分でアニメ化するなら幼年期はほぼカットだろうな」とか、「ほぼダイジェストにはなるだろうけど、結婚には時間を割いてくれるんだろう。原作のこのネタがあったらうれしいな」という淡い期待を持ちながら(監督・

    映画「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」レビュー ゲームを、フィクションを、人生をここまで愚弄する作品を私は他に知らない
  • ☆東方アニメ化とARGが抱える共通の原罪

    超巨大同人コングロマリット(ってカンジですよね今や)『東方プロジェクト』の原作者・ZUN氏が自身のブログ「博麗幻想書譜」において、サークル舞風による同人アニメ「東方アニメプロジェクト・夢想夏郷」について言及しました。 冬コミ頒布の「東方アニメプロジェクト・夢想夏郷」が話題 「東方プロジェクト」作者が話題の東方アニメに触れる 東方シリーズに関する基礎的な説明はここでは割愛いたしまして…。 実はこの東方アニメ化プロジェクト、特に今回起用される豪華声優陣が発表されたのをきっかけに、ファンの間ではあまり歓迎されないムードも少なからず噴出しているようなのです。 単純にアニメ化といえば、来はコンテンツが世間に認知されたことを証明する喜ぶべきバロメーターのはずです。 東方がすでに広く愛されてすぎているとか、同人界を代表するスターであるとか、昨今の粗製乱造であるとか(私は必ずしもそうは思っていませんが)

    ☆東方アニメ化とARGが抱える共通の原罪
  • なぜ『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』は賛否両論の問題作なのか?それはゲーマーに対するふかい愛があるからだ

    結果は不評が多いわけだが、その理由はいくつかある。まず、作は原作をかなり端折った展開であるということ。そしてシリーズ作品の音楽の使い方が下品に感じること。あるいは、わかりやすいコメディシーンが多くなっているのも気になるだろう。だが、これらは細かい要素に過ぎない。 重要なのはやはり、ラストの展開だ。終盤、ついに主人公はミルドラースという大魔王に立ち向かうことになるが、そこでいきなり急展開。実は、自分たちのいる場所がVRで作られた偽りの世界であることがわかる。しかもラスボスはミルドラースではなく、VR世界に現れたウイルスだったのだ。 やつはこう語る。ウイルスの制作者はゲームなど「虚無だ」と考えており、だからこそこういうVR世界を破壊するのだと。ビアンカやゲレゲレや息子たちはただのデータとなり、消え去ってゆく。しかし主人公は“ゲームは素晴らしいもうひとつの現実だ”と語り、最後の戦いに勝利するの

    なぜ『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』は賛否両論の問題作なのか?それはゲーマーに対するふかい愛があるからだ
  • なぜ『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』は賛否両論の問題作なのか?それはゲーマーに対するふかい愛があるからだ

    結果は不評が多いわけだが、その理由はいくつかある。まず、作は原作をかなり端折った展開であるということ。そしてシリーズ作品の音楽の使い方が下品に感じること。あるいは、わかりやすいコメディシーンが多くなっているのも気になるだろう。だが、これらは細かい要素に過ぎない。 重要なのはやはり、ラストの展開だ。終盤、ついに主人公はミルドラースという大魔王に立ち向かうことになるが、そこでいきなり急展開。実は、自分たちのいる場所がVRで作られた偽りの世界であることがわかる。しかもラスボスはミルドラースではなく、VR世界に現れたウイルスだったのだ。 やつはこう語る。ウイルスの制作者はゲームなど「虚無だ」と考えており、だからこそこういうVR世界を破壊するのだと。ビアンカやゲレゲレや息子たちはただのデータとなり、消え去ってゆく。しかし主人公は“ゲームは素晴らしいもうひとつの現実だ”と語り、最後の戦いに勝利するの

    なぜ『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』は賛否両論の問題作なのか?それはゲーマーに対するふかい愛があるからだ
  • 『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』レビュー

    『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』を観終わった僕は、なんとも言えない気分だった。「いい映画だった」、あるいは「ダメだったなー」ということではない。大好きなドラクエがついに映画になったことについて感動しているわけでもない。僕は、肩透かしをらったような気分でいたのだ。普通のスライムと戦っていたはずが、実はメタルスライムだったような、そんな大胆な映画が作られるとは……。 これではまるで、僕が何を言っているのかがわからないはずだ。 『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』をゲーム『ドラゴンクエストV 天空の花嫁(以下、DQV)』の映画化として評価するのであれば、原作を超える魅力こそないものの、悪くない出来だ。 『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』の巧みなところは、DQVの重要な部分を抑えつつ、そもそも「すべてのファンが納得する映画」を目指していないということだ。原作の印象深い場面をリッチな3

    『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』レビュー
  • 映画『二ノ国』レビュー、厳しい現実と向き合うか、都合のいいファンタジーで生きるか

    映画版『二ノ国』の最も優れている点は、「対となる2つの世界」というシリーズの設定ありきの物語が構成されているところだろう。ゲームの初代『二ノ国』でも現実世界「一ノ国」の少年が魔法の世界「二ノ国」にやってきて、それぞれの世界で命の繋がった人々を助けるという王道ながらも夢あふれる冒険が綴られていた。だが、その設定がストーリーとうまく連携していたのかと言えば、疑問が残る。続編『二ノ国2 レヴァナントキングダム』ではほぼ完全にファンタジーだけの物語になり、そもそも「一ノ国」はほとんど描かれなかった。今回の映画は、2つの世界を跨ぐ恋愛物語を描くことで、今までで最も二ノ国らしいストーリーを紡ぎだ出した。 一ノ国の舞台が日であるというのも大きな特徴だ。東京の郊外の街並みが細かく再現され、そこで高校生の日常が描かれる。アニメ作品として珍しい光景ではないのかもしれないが、「二ノ国」というシリーズにおいては

    映画『二ノ国』レビュー、厳しい現実と向き合うか、都合のいいファンタジーで生きるか
  • Star Wars: The Rise Of Skywalker | D23 Special Look

    The story of a generation comes to an end. Watch the D23 Special Look for Star Wars: #TheRiseofSkywalker. See the film in theaters on December 20.

    Star Wars: The Rise Of Skywalker | D23 Special Look