2019年3月30日のブックマーク (3件)

  • 数学から逃げた

    京大に行きたかった。 月並みな理由だが、オープンキャンパスに行った時にその学風に惹かれた為だった。 毎年数人京大合格者を輩出する中高一貫校に通っていたし、上位の成績だったため、 難関大学とはいえ不可能ではないだろうと思い上がっていた。 挫折を知ったのは中3の時だった。 数学の授業(確か三角関数だったように思う)で、みんながスラスラと解いてみせる問題を、私は解くことができなかった。 何度説明されても今ひとつ飲み込めず、理解するのに時間を要した。 結局、テストまでに応用問題を終わらせることができなかった。 テスト勉強に於いて初めての失敗だった。その時のテストはいつもより20点近く低かった。 高1になって数学は数ⅡBに入って難しくなり、勉強時間の7,8割近くを数学が占めるようになった。 高1の数学の先生はとてもフレンドリーで、何度も説明を求める私に優しく砕けた口調で教えてくださった。 その先生と

    数学から逃げた
    acroshachi
    acroshachi 2019/03/30
    今まだ学生なら、向き合い直して欲しい
  • 東大情理システム情報学専攻の放置&雑用系人気研究室で2年間過ごして

    はじめに  ブラック企業という言葉が市民権を得てしばらく経ちますね。毎年、ブラック企業大賞なるものが発表され、だれもが聞いたことのあるような企業が名を連ねます。それに対し、ブラック研究室という言葉も有名なものの、どこの研究室がブラックだとかいった情報は大学内部の学生でないとなかなか知りえないものがあります。ましてや研究室の内情は所属している学生しか分かりません。 今回は、そんな研究室の中でも異質なケースとして、自分が修士課程の2年間過ごした研究室の話をみなさんに紹介したいと思い、筆を執りました。必ずしも拘束時間が長く、人格否定を行うような研究室だけが悪い環境ではないということ、メディアなどでよく見かけ、有名で人気な研究室が良い環境であるとは言えないということだけでも皆さんに覚えていただきたいです。後進の方々の研究室選びの参考に少しでもなれば幸いです。 研究室運営の問題点 初めに、研究室の運

    東大情理システム情報学専攻の放置&雑用系人気研究室で2年間過ごして
  • 田舎者と貧乏人を初めて見た話

    誰にも言えない偏見を、そっと書き残す。 東京に生まれた。 新宿区で生まれ、その後は23区外に引っ越したが、ずっと東京都内から出たことはなかった。 小学校受験をし、私立の小学校を卒業し、そのまま中学受験をして、いわゆる御三家に合格し、中高一貫の女子校を卒業した。 中高時代は都心まで通学し、遊ぶところは新宿、渋谷だった。 1年間浪人し、そのまま地方の国立大学医学部に進んだ。 まさかそこでここまで大きなカルチャーショックを受けるとは思っていなかった。 私は自分がいかに世間知らずだったかということを全く知らなかった。 まず、初めに、医学部生同士での「親って医者なの?」という会話に驚いた。 「え?むしろ親、医者じゃないの?」 喉元まで出かかって飲み込んだ。 私の周りの医学部志望生は、7〜8割は親が医者であり、親が医者であるかどうかを確認する文化がなかった。また、親が医者でなかろうと、会社の社長だの外

    田舎者と貧乏人を初めて見た話