ブックマーク / novtan.hatenablog.com (2)

  • 「公の感覚」は必要だと思うけどさ - novtanの日常

    この話だけど。 「公の感覚」をめぐる議論(「キズナアイ」騒動などからの派生) - Togetter 以降、「的なもの」というのは理解が曖昧なことについて使っているので間違ってたらごめん。 まあ、「公」ってのは極言すれば「法律」なんだと思うんだよね。もちろん、その上に憲法があって、それが担保する世界もあるんだけど、それを絶対正義にしてしまうと公の空間というものは実質的に成立しなくなる(ようは、単なる自由にアクセス可能な私的空間のつながりにしかならない)ので、原則レベルではそうだと思う。なので、といいつつ、もう少し上位(だったらいいなあ)の概念としてのモラルみたいなものも当然あるよね。ただそれは誰かのお気持ちにより担保されるものではなく、ハーバーマス的な正当性の議論なくして成立し得ないのかなあとは思う。 問題は、実際の「公共圏」的なものは実はローカルではひとしきりの根拠を持っていて、それがウェ

    「公の感覚」は必要だと思うけどさ - novtanの日常
    adhf
    adhf 2018/10/20
    鍵の人のブログの内容を無視してスティグマタイズする姿勢すごい
  • ステレオタイプから自由になり、個性を見失う - novtanの日常

    男らしさ女らしさ的なものは多分に動物的な価値観ではあるけれども、XX人はどうたらというのも多分に文化的な価値観であるけれども、それはひとりひとりの人間を表したものではないし、それに縛られるべきではないというのが現代の価値観の根ではあるよね。 一方で、多様性と言いつつ、そういう古い価値観は多様性の一つとは認められないということはよくある。三つ子の魂百までってわけじゃないけど、昭和の古い価値観のもと子供時代を過ごした僕らの年代は、平成のはじめの価値観の転換に随分翻弄されてきたよな、とは思う。 社会って、「自分の有り様」を押し付けるには強大だ。だって自分以外は全員自分以外なんだよ。だから、文化や風習という名の「誰かの意見に基づく伝統」が自分以外自分じゃないという状況を打破し、社会で生きていく重さを軽減させてきたのかもしれない。そこで決定的にその価値観を受け入れられない人は、その社会から逃げ出す

    ステレオタイプから自由になり、個性を見失う - novtanの日常
    adhf
    adhf 2017/09/01
    “文化や風習という名の「誰かの意見に基づく伝統」が自分以外自分じゃないという状況を打破し、社会で生きていく重さを軽減させてきたのかもしれない” 前提のこの部分の感覚がわからんからその後もしっくりこない
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